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2011年12月5日月曜日

iPhone4S(続)

今年の十月に発売されたiphone4Sを購入しました。KDDIから発売された製品です。

最近の2ヶ月間に携帯電話のAUショップに4回行きました。でも、その度に予約しないと駄目です、との返事。たかが携帯電話なぞ予約しなくちゃ購入できないのなら、そんな物はいらない、という信念がありましたし、iPhone5の発売まで待ってみようとも考えていました。

でも古いiPhone3Gはすぐに電池が切れるようになってきたし、動作しないアプリも増えてきた。というよりも、無条件にiPhone3Gは動作対象外にされているようです。

AUショップで予約しないといけないのなら、古巣のソフトバンクぢゃどうだろうとも考えてみましたが、それも自己規制を破るほどの動機とは成り得ませんでした。結局、これで駄目ならiPhone5の発売まで待つ、という決心の元に5回目のAUショップ行きです。5回と申しましても、実際に行った店は3軒でした。つまり、以前に行った店で一番iPhone在庫の可能性が高いデオデオ店にしてみたのです。

携帯電話番号を変更しなくても携帯電話会社を変更できるMNPと言うのですか、あれって、申し込みが結構面倒なものなのですね。10桁のMNP番号を取得するのに、かれこれ30分近くかかりました。その番号と古い携帯電話番号で、新しい携帯電話会社に加入を申し込むのです。すると、古い携帯電話の方は1時間もしないうちに使えなくなりました。ソフトバンクに解約の手続きをしなくてもいいのは便利でした。もしかすると印鑑が必要かもしれないと思ったりもしましたが不要でした。必要な物は免許証と携帯電話本体の金六万壱千円の現金でした。

本体を入手して最初にしてみたのは、Mac OSX のiTuneに接続してみたことです。でも、なぜか接続できません。いえ、接続は物理的にはできているのですが、iTuneの方でiPhone4Sを認識してくれません。次に同梱されていた、電源プラグを使って家庭用電源でiPhone4Sを充電を試みてみました。でも、充電できません。これはとんでもない不良品を掴まされたと感じました。しかし、それでもと、古いiPhone3Gで使っていたコード類を使ってみました。すると、iPhone4Sとの接続部はグスグスで今にも接続が外れそうながら、無事に充電ができています。また、同じコードを使ってiTuneに接続もできます。どうやらiPhone4Sは本体側の接続が今までの製品と比べて薄くなっているようです。

それにしても、iPhone3Gを手に入れた頃にはこれほどの人気商品になるとは想像だにしなかったなぁ。

2011年11月8日火曜日

京都御所の一般公開

11月6日が最終日となっている京都御所の一般公開に行ってみました。 この写真は御所北側です。
京都御所の周囲は京都御苑と謂い、公園になっています。ここは蛤御門近くにある駐車場です。
京都御所の中へはこの宜秋門から入場しました。
開門と同時に入場しました。車寄(玄関)の前を通過して南へ歩きます。
こちらは御所の南側にある建礼門を内部から眺めたところです。
建礼門の反対側(北側)に回廊と承明門があって、扉の開けられた門から紫宸殿を眺められます。
回廊の中の紫宸殿です。
紫宸殿の左手を奥に(北へ)入って行くと清涼殿があります。清涼殿の前には小さな水路がありまして、右手の方には小さな滝があります。これを滝口と言うのだそうです。下の写真は滝口方向から見た清涼殿です。
清涼殿から東の回廊を出て、北へ歩きます。すると小御所の前に御池庭があります。
小御所には管弦を楽しむ人形が飾られています。御池庭を眺めながら風流を楽しんだんでしょうねえ。
ここを北に進むと御内庭があります。
見学コースの北端がこの辺りまでで、ここから西へ歩きます。北側に御常御殿とその内部の襖絵があります。
これで見学コースはおしまいです。帰りは西の清所門から御所の外へ出ます。

5-inch SCSI hard drive

5インチの光ディスクや8インチのフロッピーディスクは使った事がありました。しかし、5インチのハードディスクは使った事がありません、と思っていました。最近になってそれが間違いだった事が分かりました。下の写真、右側が容量150MByteの5インチハードディスク、左側は容量9GByteの3.5インチハードディスクです。いずれもSCSI仕様です。こんなに容量が違うのだから、インターフェース部分の50ピンは規格が違うのだろうと思っていました。
これは5インチハードディスクのインターフェース部分です。
そして、こちらは3.5インチハードディスクのインターフェース部分です。お分かりのように、規格は同じ50ピンでした。
それにしても、5インチハードディスクは大きくて重かった。このディスク20年以上使っていた物で、最近になって動作がおかしくなってきたのです。最近のディスクはヤワになったようで、シーゲートなんて数年で壊れますからね。それに比べると、この日本製ディスクは重いだけではなく頑丈だったのです。

2011年10月26日水曜日

春歌

春歌、その甘美な音の響き。

かつて大学の寮生活を始めた頃に聞いた。今はどうだろうと調べてみたら、無いのです。どうやら絶滅したみたいです。
あまつさえ、春歌の意味さえ別の物になっているようです。えっ?春の歌だろうって?いえいえ、例えば、こんな調子。

【青い山脈の曲で歌う】

ちちもでたでた、けもはえた。
わたしもおんなになりました。
あおいぱんてぃーひざまでおろし、
はやくきて、はやくしないと、ままがくる。

まあ、こんな歌です。当時の寮生だったら、最低でも10曲程度は歌えたし、中には20曲以上、歌えた猛者もいた。

他にも、よく歌われた物に「江戸は八百町、夜の街を逃げるは、大泥棒のお万、その後を追うは、目明し金太。」
という解説で始まる【金太とお万の歌】もいろんなバリエーションがありました。

そんな春歌をまとめた本でもないものかと探してみるのですが、さっぱりみあたりませんねぇ。まっ、これだけ音楽の著作権がかまびすしくいわれるような時代じゃ無理もないか。

2011年10月17日月曜日

迷宮辞書 【ゆ】の項 「ユッケ」

日本では食されていなかった牛肉が、明治時代にすき焼き料理として普及したと記憶している。明治時代以前は漫画のカムイ伝にあるように一般民衆の食べる物では無かった。だから牛の生食は鬼畜(野郎)の所業だったわけだ。個人的にはクジラ肉以外のナマ肉を食べた事はない。しかし、世の中はちゃくちゃくと変化しているようだ。

平成23年、生の牛肉を使った食事で食中毒が発生した。
「ユッケ」がどんな物なのか、私は知らないし、いわんや見た事すらない。それがテレビでは食べられなくなると大騒ぎだと報道している。一体全体、どんな人がそんな事で困るというのだ?地球のどこかでは食べ物が無くて餓死する人もいるというのに。
私もかつては、食べ物が無くてひもじい思いをした事がある。簡単にひもじいと書いているけれど、全身の力が抜けるような虚脱感は実際に体験しなければ理解できないだろうと思う。

これと似た話は過去にもあった。「マグロ」である。マグロの刺身を知らないわけでは無いが、最近になるまで食べた事もないし食べたいと思った事もなかった。それをテレビは食べられなくなると大騒ぎで報道していた。そんな食事ができなくなったって誰が困るというのだ?いや、その前にそんな食事を誰がしてたのだ?私には外国のお話のようにしか聞こえない。

電波は公共性のある物だから、あまりどうでもよい事でヒステリックに騒ぎ立てるのは大人の態度らしくないと思う。
まして報道してよいものを意図的に無視して報道しない事が多々あると思うが。原発事故初期の報道などはその典型だな。

釣果記録2011-10-16

久しぶりに(昨年、来ていないから、二年ぶりになる)瀬戸内海の与島まで釣りに出かけてみた、、、けれど、すごい風だった。瀬戸大橋の風速警告は風速11メートルだった。でも、与島まで来て大風だからと何もせずに帰るのも、もったいないからと、風吹きすさぶフィッシャーマンズ・ワーフの波止に出てみた。時間は朝のまだ暗い頃。

風は左から右へ潮は右から左へ。オレンジ・エギ3号を投げてみるけれど、すぐに波止ぎわまで吹き流されて来る。と思っていたら、波止ぎわでアオリイカが釣れた。ラッキーだわい、と同じコースを流すと、もう一パイ、アオリイカが釣れた。いずれもコロッケサイズではないけれど、大きさは今ひとつ。これは、と思っていたら、いつの間にか潮の流れが左から右で当て潮気味になっていた。お陰で、エギが波止の根元にかかってしまいエギを失った。その間にアオリイカの群もどこかへ去ってしまった。

波止の内向きでもイカを探ってみたけれど、無駄だった。こんな風でも釣果があったのだから良しとする事にした。

先行者の残したペットボトルや釣り糸を切って片付けた後、駐車場への戻り道、すっかり明るくなった周囲を眺めていたら、以前来た時にはトイレがあった建物は入り口がシャッターで閉ざされ、シャッター前の階段は蔓草で覆い尽くされていた。

2011年10月6日木曜日

Steve has passed away.

Thank you for giving me a wonderful computing life, Steve. My life has always been with Apple computers. You are so young, as to pass away. I'm in great grief.