レ・ガールズというテレビ番組がありました。もっともこれは調べてみての結果なのでして、私の記憶にあるのは、四人の若い女性がミニスカート姿でお立ち台の上で歌いながらゴーゴーを踊る姿です。その姿があまりにも強烈だったので、今でも目の奥に焼き付いているのです。何が強烈といって、ミニスカートですよ。ひょっとして今でもネット上には、そんな動画があるかもしれませんね。でも四十歳以下の人ならば、そんな動画を見ても何が強烈なのか、多分理解できないでしょう。
ミニスカートの元祖、ツィギーが日本にやって来たのが、一九六七年の秋十月で、このレ・ガールズという番組が始まったのが一九六七年の八月でした。恐らくミニスカートという物を最初に目にした衝撃なんだろうと思います。それまでは、例えばキューポラのある街の吉永小百合が着ていたロングスカート姿が当たり前だったのです。ロングスカートといっても、あのヒダヒダのあるプリーツスカートが出て来るのはもっと何年か後ですよ。いやいや、それ以前にモンペ姿も普段着としてよくみかけました。
四人のダンサーの中でも由美かおるさんが一番印象に残っています。やっぱり、あの笑顔が魅力的だったからなのでしょう。テレビカメラが上からパンしてダンサーの顔を大写しにする、という手法も彼女の魅力を引き立てるのに一役かっていたような気がします。そういった印象が強すぎたせいかもしれませんが、後年、同棲時代という映画で全身ヌードを披露したのはそれはそれで凄いのですが、それほど印象に残っていませんしね。さらに小松左京原作のエスパイを映画化した作品にも出演なさっていました。この作品、原作はまあまあの出来なのですが、映画はそれはもうボロボロの出来でしたので、せっかくの由美かおるさんが霞んでいました。(小松先生まあまあなどと申し訳ない。でもエスパイ以外に出来の良すぎる作品が多いものだから。)
GO GO GO MINI MINI GO GO GO.....
一九七〇年大阪万博の年。万博会場で、暑さに少々うんざりしながらベンチに座っていました。すると、ベンチの隣に座っていた、一見浮浪者風のおっちゃんが僕の耳元で囁いた。見ず知らずの人にも平気で囁きかけるのが関西風なのだろうとはその時に気がついたのですが、その話の内容も、いかにも関西風だった。
「にーちゃん、にーちゃん、知っとるか?あのコンパニオン、スカートの長い物を着とる人と短い物を着とる人がおろう?何故だか分かるか?」
「。。。。」あまりにも突然の出来事だったので、声を失った。
「そうやろ、そうやろ。そら、わからんのも無理ないわな。」と独り言。
「教えたるわ。短いスカートの足をよー見てみ。細いやろ。そやから、長いスカートの人は足が太いねん。」と自慢顔。
この答えには少々呆れてしまったけれど、よく観察してみると、まんざら外れてもいない。
その後の七十年代はミニよりもマキシやパンタロンの流行があって、ミニスカートが一般的になったのは、その後からでしょうかね。
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