昭和36年か37年だったと思うが、その年の冬はとりわけ寒さが厳しかった。
当時の小学校は冬の暖房は石油では無く石炭ストーブだった。
石炭ストーブは石油ストーブと比べて暖めるには手間がかかる。そのために学校では石炭当番なるものを決めていた。石炭当番は授業開始1時間前には教室に到着して、石炭バケツを持って校庭の一角に設けられた石炭置き場まで行き燃料を教室まで運ぶのだ。運んだだけでは駄目で、紙を薪と石炭に順番に点火してストーブを暖めておかなければならなかった。
それはとても寒い朝だった。前日から降り積もった雪は夜になっても融けず、翌朝には氷のように固くなって道路に30センチ程の高さになっていた。校舎の屋根からぶら下がったツララの長さは30センチは越えていたし、学校の側を流れる川には厚さ20センチになろうかという氷が張っていた。
石炭当番になった僕は相方の到着を教室で待っていた。石炭バケツに石炭を入れると、その重さは結構なものになるので、子供一人の力で運ぶには少々不安があったのだろう、石炭運びは二人でやる、という決まりになっていた。でも、その朝、相方はなかなかやって来なかった。仕方無く僕は一人で石炭バケツを持って廊下を歩き始めた。廊下を通って下駄箱の所で長靴を履こうとしていた時、側で女の子の声が聞こえた。
「一人で石炭を運ぶの、大変でしょ。」彼女はニッコリと微笑みながら僕の顔を見ていた。でも僕はどこで会ったのか思い出せなかった。
「きみは? えーと?」何故か僕はしどろもどろだった。
「隣のクラスの美津子っていうのよ。今朝は、お母さんが摘んでくれた花を持って来たのよ。」彼女はそう云うと再びニッコリとした。見ると彼女は手に花瓶を持っていた。
「でも、今朝は水道の水は凍ってしまってるから出ないぞ。水なら防火用水の水がバケツに汲み置きしてあるから、それを使ったら。」僕はそう言って、廊下の端っこにあるバケツを指差した。
「そうね、そうするわ。でもその前にいっしょに石炭を取りに行きましょうか?」彼女はそう云うと、僕の前を石炭置き場の方に向かってスタスタと歩き始めた。
降り積もった雪の校庭を横切って自転車置き場の端までたどり着いた僕たちは、黙々と石炭をバケツに放り込んだ。バケツは横に細長く、一方の端が船の前方のようにせり出した形をしていた。それは一度に多くの石炭を運べるようにするためと、バケツからストーブに石炭を投入し易くするための工夫だったのだろう。戻り道、僕の手にかかる重みはズッシリとしていたけれど、心は不思議と軽かった。彼女と別れて、教室に戻ると僕はさっそく新聞紙に火をつけた。そうしてストーブがかなり暖まった頃に僕の後ろで彼女の気配がした。お礼を云おうとして僕は振り向いたけれども、そこに彼女の姿は無かった。隣の教室に行くと机の上に花がいっぱいに生けられた花瓶がポツンと置かれていた。
それから1週間程した放課後、僕は掃除後のゴミを集めて、校庭の端にある焼き場まで運んでいた。冬の日は短く、太陽は午後の雲に隠され、かすかに夕暮れの気配が漂い始めていた。コンクリート製の焼却炉には、ゴミの投入口があり、そこは取手の付いた重い鉄板で覆われていた。僕が取手をつかむと焼却炉の向こう側からクスクスという笑い声が聞こえてきた。顔をそちらの方に向けると彼女がいた。
「今日も一人のようね。」そう云いながら彼女はコンクリートの陰から出て来た。
しばらくポカンと彼女の方を見ていた僕は「ゴミ捨ては一人でするもんだからね。この前とは違うよ。」と言った。
「でも、なんだか、寂しそうだったわね。私の気のせいだったのかしら。でも、案外元気そうで安心したわ。」
「そんな風に見えるかな?」実は、その前日にちょっとした事件があった。
僕たちは通学にバスを利用していた。下校時になると学校から集団でバス停留所まで歩いてゆくのだ。バスを待つ間、何気なく側の公園の方へ足を向けると、下級生が二人、茂みの陰で何か言い合っていた。二人とは話をした事もなかったけれど、しばらく話を聞いていると状況がわかってきた。持っていた漫画本を、もう一人の生徒が無理矢理取り上げていたのだ。取り上げられた生徒は、返してくれよう、と何度も言った。でも、取り上げた方は、笑って取り合うつもりはなさそうだった。どこかで見たような風景のような気がした。そのせいかどうかは知らないが、僕は二人の方へ出てゆき、本を取り上げた生徒に、本を返してやれよ、と言った。その子は僕の顔をしばらくの間、じっと見つめた後、しぶしぶと本を持ち主に返した。そして捨て台詞を残して、どこかに行った。
「俺にゃ、強い、にーちゃんがおるんやど。おめーの事を言いつけてやるからな。待っとれよ。」
僕は一瞬、しまった、と思った。でもよく考えてみると、どうせ嘘に決まっているだろうし、それに、そんなに都合よく、兄がバス停留所にいるわけがないと思った。だから、捨て台詞の主の嘘をあざ笑ってやろうと考えたのだ。ふと後ろを振り向くと、本を返してもらった子はとっくにどこかに消えていた。
やがて樹の茂みの向こうから僕よりも遥かに大人に近い子供が出て来た。そして、その後ろには見覚えのある姿も。「こいつや、にーちゃん、こいつが俺の事をいじめたんや。」
辛うじて僕は反論した。「そんな事あるもんか。そいつが同級生から本を取り上げていたから、やめろ、って注意しただけだよ。」
「そんな事あるもんか。にーちゃんはお前の嘘なんか信用するもんか。」
小学生の身長の伸びは速い。学年が三つも違えば、上級生は雲をつくような身長の大人に感じられる。
「ほんまに、いじめたんか?」だから巨人が物を言った時にはもう喋る気力は萎えていた。僕は何も言わず、立ち尽くすしかなかった。
気がついた時、僕は凍てついた地面の上に転がっていた。どこか遠くで「ざまーみろ。」という声が響いていた。そして、あまりにも怖い目に合うと小便を漏らすのが作り話でない事を知った。
僕がぼーとしてる間に彼女は僕の側に来ていた。僕はちょっと面食らったので、急いで「昨日、僕とバス停留所で会ったかな?」と聞いてみた。
「いいえ、会わなかったと思うわよ。でも昨日何かあったようだわね。」
「そんな事はないよ。」僕はどもりがちに彼女の言葉を否定した。「そんな事よりも、この前は急にいなくなって、どうしたんだい。」とにかく話題を変えたかった。
すると彼女は「私ね、川が苦手なの。」そう言ってそばの川を指差した。
「えっ? 今は冬だろ。誰だって川は苦手なんじゃないかなあ。」
「そうね。そうだったわね。」そう言うと彼女は押し黙ったまま、僕の後ろの方に歩いた。
だから僕は持って来たゴミを焼却炉の中に投げ込む作業に戻った。そうしているうちに彼女から何か返事があるだろうと思ったからだ。でも、いつまでたっても返事はもらえそうになかった。だから、僕は後ろを振り向いた。でも、周囲のどこにも彼女はいなかった。
2011年1月29日土曜日
2010年11月11日木曜日
Usuki dreaming, stone Buddhas in Usuki, Ohita Pref. (臼杵幻想)
It has been my desire for over 30 years to be here in Usuki and see the stone statues of Buddha, his dependents. Many wishes, desires have gone away among my hands for long time. So many visions vanished into dust. Nothing was left to be certain.
After I passed through the strong wind from seashore, I found an guide post that leads me to the destination.
Walking up along the path spreading around the stone statues, I felt a strange shadow approaching me. It was a vague, sparkling image in the shimmer under autumn leaves.
The shadow gradually transformed into a certain shape. That was a little girl, stretching her hand for me. She smiled and took my hand and walked on with me. It was just a daydream, but I had a queer sensation that I met her somewhere, sometime in times past.
She began to walk fast, suddenly stopped and pointed a wooden explanation plate with her fine finger. Then she stepped foward to one of the stone statue in front of me, and disappeared into the stone. I could not take my eyes off the place where she vanished.
The statue was carved out of a part of the cliff, and was considered to be build in the 12th century. Eight hundreds years is almost same meaning as eternity, compared to my lifetime. Suddenly, A voice explaining stone Buddhas could be heard from down the path.
案内の人が説明しています。「ホキ」というのは崖という意味だって。十王の石仏を見るのは初めてだった。
思い起こせば耶馬で石仏を見た頃はすでに、遥かな時間の彼方に去ってしまった。でも、臼杵の石仏達の時間は刻まれてからおよそ八百年ばかり。
首が落ちていた石仏も修復されて、今もしっかりと時間を刻んでいます。
北への帰り道、やっぱり南の方から呼んでいるような気がしました。でも、それはまた今度の為にとっておくことにしました。
After I passed through the strong wind from seashore, I found an guide post that leads me to the destination.
Walking up along the path spreading around the stone statues, I felt a strange shadow approaching me. It was a vague, sparkling image in the shimmer under autumn leaves.
The shadow gradually transformed into a certain shape. That was a little girl, stretching her hand for me. She smiled and took my hand and walked on with me. It was just a daydream, but I had a queer sensation that I met her somewhere, sometime in times past.
She began to walk fast, suddenly stopped and pointed a wooden explanation plate with her fine finger. Then she stepped foward to one of the stone statue in front of me, and disappeared into the stone. I could not take my eyes off the place where she vanished.
The statue was carved out of a part of the cliff, and was considered to be build in the 12th century. Eight hundreds years is almost same meaning as eternity, compared to my lifetime. Suddenly, A voice explaining stone Buddhas could be heard from down the path.
案内の人が説明しています。「ホキ」というのは崖という意味だって。十王の石仏を見るのは初めてだった。
思い起こせば耶馬で石仏を見た頃はすでに、遥かな時間の彼方に去ってしまった。でも、臼杵の石仏達の時間は刻まれてからおよそ八百年ばかり。
首が落ちていた石仏も修復されて、今もしっかりと時間を刻んでいます。
北への帰り道、やっぱり南の方から呼んでいるような気がしました。でも、それはまた今度の為にとっておくことにしました。
2010年9月25日土曜日
赤フンドシの人
少し昔の頃。
その老人は決まって冬の木枯らしが吹きすさぶ、小雪まじりの日に決まって現れた。
年の頃なら恐らく70歳は超えていただろう。
伸び放題に伸びた頭髪と顎髭はちょっとした貫録を老人に与えていた。
うっすらと肋骨の筋が胸に浮き出た体は、肥満とは縁遠く、鍛え上げられた様子を窺わせる体躯だった。
どうしてそのような肋骨の様子が分かったのかと云えば、その老人の姿がちょっと変わっていたからだ。
どのように変わっていたのかと云うと、老人は赤フンドシ一枚を下半身に身に付けている以外に体を覆うものを何も着ていなかったのだ。
帽子もかぶっていなければ靴もはいていなかった。そして片手で赤い旗指しものを持っていた。その赤い旗には黒々とした大きな文字で
「健康のために笑いませう」
と記されていた。
そんな老人が街角に立って、大きな声を張り上げて「皆さん。健康のために笑いませう。ワッハッハッー。」と云うのだ。
もちろん拡声器など使ってはいない。
傍らを通り過ぎて行く人々は、チラリと奇異のまなざしで老人を眺めるだけで、すぐに視線を老人から避けるようにして、いつでも足早に駆け抜けてゆくだけだった。
ひとしきり、辻で大声を張り上げた後、老人は別の辻まで行って同じことを繰り返すのだった。
精神の病を病んでいるのだろう、と想像するのは簡単かもしれない。でも、僕には老人がそんな風にな人には見えなかった。
だから、ある日の事、意を決して、老人に話しかけてみた。
「どうしてこんな事をしているのですか? それに裸になるのなら、夏だけでいいのに、わざわざ寒い冬だけに、こんな事をしているのは?」
老人は嗄れた声で答えた。
「そりゃ、すべては健康のためだ。最近、街に笑い声が聞こえんようになってしもーたようでな。それに笑って生活していればいろいろ良い事があるんじゃ。ワッハッハッー。どうじゃ、お前さんも、ここで一緒に笑わんかの?」
僕は答えた。
「うーん。赤フンドシを着用するのは少し抵抗があるなぁ。でも笑うってのはいい事ですね。」
「ワシはな、笑い声こそが人の和を作るものだと信じておるのよ。」と答えた老人の声の迫力に今更ながら僕は内心驚いた。
「そういう事が確信できるようになったら、お供させていただきましょうかね。」を僕は冗談めかして云った。
「おおっ、待っとるよ。」そう老人は云ってから、その場を立ち去っていった。
老人の後ろ姿を見送りながら、信じる事なら何だってやれるんだ、ぼんやりと、そう思ってた。
その後も街角で、老人の裸の姿を見かける事があった。
ある年の春、道の向こうから身綺麗な紺色のスーツを身に着けた老人と行き違った。
老人は縁のある帽子を目深にかぶっていたので、僕からは老人の顔がみえなかったのだ。
「ひょっとすると、お前さん、この前の人じゃないかね?」老人にそう呼び止められて僕が振り向くと
「やっぱり、そうだ。二年前だったかな、この前話をしたのは?」そう云われた僕は
「確かそうですよ。それにしてもお元気そうで何よりです。赤フンドシ以外の姿を拝見するのは初めてなので、誰だかまったく分かりませんでしたよ。これからどちらへ?」
「ちょっと戦友会の集まりでな。そこで、例の『笑いの健康』をするのさ。ワッハッハッー。」そう云いながら、老人は去っていった。
その後もちょっとした事があったのだが、それは別の話。
日本の指導者に、赤フンドシで辻立ちをしてでも、信じる事を訴える胆力がおありかどうか???
その老人は決まって冬の木枯らしが吹きすさぶ、小雪まじりの日に決まって現れた。
年の頃なら恐らく70歳は超えていただろう。
伸び放題に伸びた頭髪と顎髭はちょっとした貫録を老人に与えていた。
うっすらと肋骨の筋が胸に浮き出た体は、肥満とは縁遠く、鍛え上げられた様子を窺わせる体躯だった。
どうしてそのような肋骨の様子が分かったのかと云えば、その老人の姿がちょっと変わっていたからだ。
どのように変わっていたのかと云うと、老人は赤フンドシ一枚を下半身に身に付けている以外に体を覆うものを何も着ていなかったのだ。
帽子もかぶっていなければ靴もはいていなかった。そして片手で赤い旗指しものを持っていた。その赤い旗には黒々とした大きな文字で
「健康のために笑いませう」
と記されていた。
そんな老人が街角に立って、大きな声を張り上げて「皆さん。健康のために笑いませう。ワッハッハッー。」と云うのだ。
もちろん拡声器など使ってはいない。
傍らを通り過ぎて行く人々は、チラリと奇異のまなざしで老人を眺めるだけで、すぐに視線を老人から避けるようにして、いつでも足早に駆け抜けてゆくだけだった。
ひとしきり、辻で大声を張り上げた後、老人は別の辻まで行って同じことを繰り返すのだった。
精神の病を病んでいるのだろう、と想像するのは簡単かもしれない。でも、僕には老人がそんな風にな人には見えなかった。
だから、ある日の事、意を決して、老人に話しかけてみた。
「どうしてこんな事をしているのですか? それに裸になるのなら、夏だけでいいのに、わざわざ寒い冬だけに、こんな事をしているのは?」
老人は嗄れた声で答えた。
「そりゃ、すべては健康のためだ。最近、街に笑い声が聞こえんようになってしもーたようでな。それに笑って生活していればいろいろ良い事があるんじゃ。ワッハッハッー。どうじゃ、お前さんも、ここで一緒に笑わんかの?」
僕は答えた。
「うーん。赤フンドシを着用するのは少し抵抗があるなぁ。でも笑うってのはいい事ですね。」
「ワシはな、笑い声こそが人の和を作るものだと信じておるのよ。」と答えた老人の声の迫力に今更ながら僕は内心驚いた。
「そういう事が確信できるようになったら、お供させていただきましょうかね。」を僕は冗談めかして云った。
「おおっ、待っとるよ。」そう老人は云ってから、その場を立ち去っていった。
老人の後ろ姿を見送りながら、信じる事なら何だってやれるんだ、ぼんやりと、そう思ってた。
その後も街角で、老人の裸の姿を見かける事があった。
ある年の春、道の向こうから身綺麗な紺色のスーツを身に着けた老人と行き違った。
老人は縁のある帽子を目深にかぶっていたので、僕からは老人の顔がみえなかったのだ。
「ひょっとすると、お前さん、この前の人じゃないかね?」老人にそう呼び止められて僕が振り向くと
「やっぱり、そうだ。二年前だったかな、この前話をしたのは?」そう云われた僕は
「確かそうですよ。それにしてもお元気そうで何よりです。赤フンドシ以外の姿を拝見するのは初めてなので、誰だかまったく分かりませんでしたよ。これからどちらへ?」
「ちょっと戦友会の集まりでな。そこで、例の『笑いの健康』をするのさ。ワッハッハッー。」そう云いながら、老人は去っていった。
その後もちょっとした事があったのだが、それは別の話。
日本の指導者に、赤フンドシで辻立ちをしてでも、信じる事を訴える胆力がおありかどうか???
2009年7月25日土曜日
わたしが子どもだったころ (4.1)
私が四歳の頃、島根県の益田という町に数ヶ月住んだ事があった。
当時の益田という町は、一本の道路の周囲に家並みが続く昔の宿場町のような感じの町だったと記憶している。
その道路に面した家の二階の六畳間に間借りをして住んでいた。
季節は夏だった。
その家の一階は青果店で、当時は珍しかった電気冷蔵庫の中に冷えたスイカを1/8に切ったものが置いてあって、一切れ20円で売っていた。
それを時々ねだって買ってもらうのが本当に楽しみだった。
ある日、私が二階の窓から外の風景をぼんやりと眺めていると、階下の方から悲鳴が聞こえた。
私には二つほど年の離れた弟がいた。その弟が便所に落ちたといって母が悲鳴を上げていたのだ。
当時の事なので、水洗便所では無く、便壺の上に板を渡しただけの汲み取り式だった。
弟は、青果店の男性に助け上げられたようだ。
私がおそるおそる一階の風呂場をのぞくと、糞まみれになった弟を母が水で洗っていた。
その後、数日間かけて弟から臭いが消えていった。
私はその後長く、便所の暗がりの恐怖と共に転落の不安にさいなまれる事になった。
2009年6月20日土曜日
わたしが子どもだったころ (8)
今では少なくなったけれど、私が六歳の頃、近所には柿の木がずっと多かった。夏になれば蝉が大繁殖し降るような蝉の音を聞き、秋にはおやつを失敬する場所にもなった。
その年の秋、わたしは柿の木に登って枝を揺らしてはしゃいでいた。その木は近所の家の裏畑に生えていたものだった。その歓声を聞きつけたのだろう、ばーさんが家の裏口に顔をのぞかせた。
その時、私の登っていた柿の木が根元からポッキリと折れてしまった。私は倒れてゆく木といっしょに畑に叩き付けられた。幸い畑の土が柔らかかったのと、低木だったため傷があちこちに出来たものの、ひどい怪我には至らなかった。さて、これを見ていた主のばーさんがどうしたか。
「そこで待っとけ。」と言うなり、家の中に姿を消し、しばらくして縄を持って戻ってきた。「この悪たれぼーずめ。」と言いながら、私の襟首をつかむと、近くにあった納屋の方へ私を連れてゆき、手に持った縄で私を柱にぐるぐる巻きにして縛り付けてしまった。
それから夕方になるまでの何時間か泣けど叫べど誰も助けは現れなかった。夕方になってばーさんが私の家の方へ連絡したのだろう、母親が詫び言を述べにやって来てくれて一件は落着した。
今でも、まあ適切な処分だろうと思うのだが、、、。
その年の秋、わたしは柿の木に登って枝を揺らしてはしゃいでいた。その木は近所の家の裏畑に生えていたものだった。その歓声を聞きつけたのだろう、ばーさんが家の裏口に顔をのぞかせた。
その時、私の登っていた柿の木が根元からポッキリと折れてしまった。私は倒れてゆく木といっしょに畑に叩き付けられた。幸い畑の土が柔らかかったのと、低木だったため傷があちこちに出来たものの、ひどい怪我には至らなかった。さて、これを見ていた主のばーさんがどうしたか。
「そこで待っとけ。」と言うなり、家の中に姿を消し、しばらくして縄を持って戻ってきた。「この悪たれぼーずめ。」と言いながら、私の襟首をつかむと、近くにあった納屋の方へ私を連れてゆき、手に持った縄で私を柱にぐるぐる巻きにして縛り付けてしまった。
それから夕方になるまでの何時間か泣けど叫べど誰も助けは現れなかった。夕方になってばーさんが私の家の方へ連絡したのだろう、母親が詫び言を述べにやって来てくれて一件は落着した。
今でも、まあ適切な処分だろうと思うのだが、、、。
2009年6月12日金曜日
わたしが子どもだったころ(7)
私が五歳の頃、当時の田舎としては珍しく、近所のおじさんがオート三輪を手に入れた。
その頃は、田舎で自動車を見かける事は稀で、信号機に至っては岡山県内に1ヶ所だけあったという噂だった。
ある雨上がりの日だった。
おじさんが車に乗ってみるかと言うので、物珍しらしさもあったのか、私は車に乗せてもらう事になった。
そのオート三輪はハンドルは文字通りの棒ハンドルで、現在ではなじみの丸ハンドルでは無かった。
座席は大人二-三人が座れるように出来ていたけれど、もちろんシートベルトなどという物は無かった。
しかし、変わっていたのはそれだけでは無かった。
何よりも変わっていた事は助手席側の車のドアが無かったのだ。
そして助手席側の足下の床に直径50cm程の大穴が開いていて下の道路が丸見えだったのだ。
さて、こういう状態で雨上がりの田舎道をドライブが始まった。
私はすぐに恐怖に体がひきつった。
道路の水溜まりを避けようと運転手が車のハンドルを左右へきる毎に私の体は車外に放り出されそうになった。
なにしろ何も掴む物が無いので、座席に両手をついて踏ん張るしか無かっのだ。
足を床について踏ん張ろうにも、足は床に届かなかったし、仮に届いたにしても床には大きな穴があったので、踏ん張る事はできなかったのだ。
そして運悪く車の前輪が道路の水溜まりを踏みつけると、床の大穴から大量の水しぶきが助手席の私の足を襲った。
ほんの5分間か10分間のドライブだったのだが、車の怖さが身にしみた出来事だった。
その3年後、小学校の同級生が原付自動二輪のカブを運転して得意そうな顔をしているのを見かけても羨ましいなどとは思わなかった。
2009年6月2日火曜日
わたしが子どもだったころ (6)
私が五歳か六歳の頃、近くの河原で自衛隊の演習があった。
戦車がやって来たかどうかはっきりとした記憶が無いのが残念。
でも、兵員輸送車とともに網に草を載せ迷彩を施された大砲が何門もやってきた。
大砲は30度程の角度で空を睨みながら、一斉に何度も轟音を放った。
もちろん空砲だったが、20メートル程度しか離れていない場所で聞く大砲発射時の地面をゆるがす轟音は、子供心を震わせる迫力があった。
それ以外にも何かのデモンストレーションがあったのだろうが、はっきりとした記憶が無い。
演習終了後、80メートルほどの川幅に一時間もかけずに橋をかけ、そこを大砲やら自動車が続々渡河した後、あっという間に橋が消えてしまったのにも驚いた。
あんなすごい音のする兵器を使って戦争をしていたなんて、怖いなぁ、と思うと同時に、いつの間にやら、戦闘機や戦車といったプラモデル作りに夢中になるようになってしまった。
戦車がやって来たかどうかはっきりとした記憶が無いのが残念。
でも、兵員輸送車とともに網に草を載せ迷彩を施された大砲が何門もやってきた。
大砲は30度程の角度で空を睨みながら、一斉に何度も轟音を放った。
もちろん空砲だったが、20メートル程度しか離れていない場所で聞く大砲発射時の地面をゆるがす轟音は、子供心を震わせる迫力があった。
それ以外にも何かのデモンストレーションがあったのだろうが、はっきりとした記憶が無い。
演習終了後、80メートルほどの川幅に一時間もかけずに橋をかけ、そこを大砲やら自動車が続々渡河した後、あっという間に橋が消えてしまったのにも驚いた。
あんなすごい音のする兵器を使って戦争をしていたなんて、怖いなぁ、と思うと同時に、いつの間にやら、戦闘機や戦車といったプラモデル作りに夢中になるようになってしまった。
2009年5月26日火曜日
わたしが子どもだったころ(5)
私の四歳か五歳の頃、岡山に戻った私には悩みの種が出来た。
それは近所に飼われていた白い猫だった。
ある日、道端でその猫とバッタリ出くわした。その瞬間、猫と目が合った。猫は威嚇の唸り声を上げた。私は怖くなって道の端に避けた。すると猫は満足そうに道をゆっくりと通り過ぎていった。そんな事が三回くらい繰り返されただろうか。わたしはすっかり猫恐怖症になっていたし、猫おろか人に対しても目を見るという事に恐怖を感じるようになっていた。
そんなある日、一方が50センチメートルくらいの高さの切り通しになっている細い道で猫と出くわした。猫を避けるのは無理と判断した私は逃げようとした。その瞬間、猫が襲いかかってきた。猫がいわゆる三角飛びをするのを見たのはそれが最初だった。猫は走りざまに切り通しの崖にジャンプし、そこからさらに私の首めがけてジャンプした。逃げようと体を動かしていた私は辛くも猫の攻撃から首を守った。攻撃の的が外れた猫は私の胸の辺りにぶつかった。それ以後の記憶は無い。
それから何故かその猫を遠くに見る事はあってもいきなり道端で出くわす事は無くなった。
後年、テレビの中の近衛十四郎演じる素浪人月影兵庫は猫が苦手で猫を見ると逃げていた。私は内心、やっぱり仲間がいたんだと思ってひどく安心した覚えがある。
それは近所に飼われていた白い猫だった。
ある日、道端でその猫とバッタリ出くわした。その瞬間、猫と目が合った。猫は威嚇の唸り声を上げた。私は怖くなって道の端に避けた。すると猫は満足そうに道をゆっくりと通り過ぎていった。そんな事が三回くらい繰り返されただろうか。わたしはすっかり猫恐怖症になっていたし、猫おろか人に対しても目を見るという事に恐怖を感じるようになっていた。
そんなある日、一方が50センチメートルくらいの高さの切り通しになっている細い道で猫と出くわした。猫を避けるのは無理と判断した私は逃げようとした。その瞬間、猫が襲いかかってきた。猫がいわゆる三角飛びをするのを見たのはそれが最初だった。猫は走りざまに切り通しの崖にジャンプし、そこからさらに私の首めがけてジャンプした。逃げようと体を動かしていた私は辛くも猫の攻撃から首を守った。攻撃の的が外れた猫は私の胸の辺りにぶつかった。それ以後の記憶は無い。
それから何故かその猫を遠くに見る事はあってもいきなり道端で出くわす事は無くなった。
後年、テレビの中の近衛十四郎演じる素浪人月影兵庫は猫が苦手で猫を見ると逃げていた。私は内心、やっぱり仲間がいたんだと思ってひどく安心した覚えがある。
2009年2月28日土曜日
YAMAHA XT250
私が自動二輪の免許をとったのは28の歳。
今はどうだか知らないが、当時は教習所へ入所して3ヶ月以内に終了試験に合格しないと実技の終了試験をうける資格が無くなってしまう事になっていました。
自動車教習所へ仕事の合間をぬって出かけていたので、実技試験は3ヶ月満了まで残すところ3日でした。一発勝負で決めなければ再試験はありませんでしたが、無事に合格しました。
それからしばらくして、四輪の方で悪い業者にひっかっかってしまいました。車を点検に出した所、あちこちが悪いので部品交換が必要だといわれ、その請求書を見ると百万円を超えていました。それで、修理しなくていいから車を返してくれと言うと、もう車は解体しているので請求金額を支払わなければ組み立てないと言われました。中古車価格が百万円程度の車に修理費として百万円以上かけるというのは馬鹿の所業だろうし。
仕方が無いので車は業者の倉庫へそのまま放置して、その後の8年間を自動二輪だけで過ごしました。車は友人からタダで譲ってもらったヤマハXT250でした。単気筒なのでアクセルを開けた時の加速が気持ちよかった。暖かい季節はそれなりによかったけれど、冬ともなれば朝のバイク通勤は辛いものがありました。
それでも乗り続けていましたが、3年ほど経った頃、出かけた先から帰る途中、いくらキックしてもエンジンがかからなくなりました。オイル漏れが少しあったのを放置していたのがよくなかったのでしょう、エンジンが死んでしまいました。その時は故障の原因がわかならかったので、動かなくなったバイクを自宅まで5kmほど押して帰りました。晩夏の夕日がまぶしかった。
バイク屋さんにエンジンが駄目だと言われた時、レストアして貰えないだろうかとお願いしたのですが、うちでは無理だ、と断られてしまいました。
その後、近所のホンダのバイク屋さんからホンダのオフロードバイクXR250を購入して五年乗りました。驚いた事にこのバイクにはセルスターターが付いていました。でも何となく軽すぎるんです。私には多少モッソリとした感じのするあのXT250が似合っていました。
8年間で路上での転倒は3回で骨折は一度も無し。最後の転倒は四輪の左折に巻き込まれた事故でした。周囲から危ないと言われ続けながら乗り続けたバイクでしたが、その事故からしばらくして四輪を購入し、いつの間にかバイクには乗る事が少なくなってしまいました。
今でも思い出すのは、熱気漂うアスファルトの家路と動かなくなったXT250。
今はどうだか知らないが、当時は教習所へ入所して3ヶ月以内に終了試験に合格しないと実技の終了試験をうける資格が無くなってしまう事になっていました。
自動車教習所へ仕事の合間をぬって出かけていたので、実技試験は3ヶ月満了まで残すところ3日でした。一発勝負で決めなければ再試験はありませんでしたが、無事に合格しました。
それからしばらくして、四輪の方で悪い業者にひっかっかってしまいました。車を点検に出した所、あちこちが悪いので部品交換が必要だといわれ、その請求書を見ると百万円を超えていました。それで、修理しなくていいから車を返してくれと言うと、もう車は解体しているので請求金額を支払わなければ組み立てないと言われました。中古車価格が百万円程度の車に修理費として百万円以上かけるというのは馬鹿の所業だろうし。
仕方が無いので車は業者の倉庫へそのまま放置して、その後の8年間を自動二輪だけで過ごしました。車は友人からタダで譲ってもらったヤマハXT250でした。単気筒なのでアクセルを開けた時の加速が気持ちよかった。暖かい季節はそれなりによかったけれど、冬ともなれば朝のバイク通勤は辛いものがありました。
それでも乗り続けていましたが、3年ほど経った頃、出かけた先から帰る途中、いくらキックしてもエンジンがかからなくなりました。オイル漏れが少しあったのを放置していたのがよくなかったのでしょう、エンジンが死んでしまいました。その時は故障の原因がわかならかったので、動かなくなったバイクを自宅まで5kmほど押して帰りました。晩夏の夕日がまぶしかった。
バイク屋さんにエンジンが駄目だと言われた時、レストアして貰えないだろうかとお願いしたのですが、うちでは無理だ、と断られてしまいました。
その後、近所のホンダのバイク屋さんからホンダのオフロードバイクXR250を購入して五年乗りました。驚いた事にこのバイクにはセルスターターが付いていました。でも何となく軽すぎるんです。私には多少モッソリとした感じのするあのXT250が似合っていました。
8年間で路上での転倒は3回で骨折は一度も無し。最後の転倒は四輪の左折に巻き込まれた事故でした。周囲から危ないと言われ続けながら乗り続けたバイクでしたが、その事故からしばらくして四輪を購入し、いつの間にかバイクには乗る事が少なくなってしまいました。
今でも思い出すのは、熱気漂うアスファルトの家路と動かなくなったXT250。
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