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2009年11月8日日曜日

「秒速5センチメートル」

掃除をしていたら以前作成した「秒速5cm」というタイトルのアニメDVDが出てきたので思わず見ようとしてパーコン(Mac OSX 10.6.1)のDVDドライブに挿入した、、、、んだけど、DVDが装置から吐き出されてしまう。外部USB-DVDドライブにしてみても同じ症状で、てっきり何か壊れてしまったんだと思ってしまった。

フッと気がつけばDVDだとばかり思っていたメディアの表面にBlu-ray Discと書いてあった。すっかり忘れていたけれど、NHK-BSで放送していたアニメをカメレオンを使ってMacで録画した物をMac OSX 10.5.7上のToast9のBlu-ray書き込みソフトを利用して作ったものだったっけ。

だとするとBlu-rayドライブが必要とホコリをかぶっていたI-Oデータ製品のBRD-UXH6を取り出してパーコンに接続。Blu-ray Discを挿入するとMacのデスクトップ上にディスクのアイコンが表示された。

あれ?
そういえばMacでBlu-ray再生ソフトってあったかな?確かにDiscの内容は見たはず。「DVDプレーヤー(そういう名前のソフト)」を立ち上げてみても駄目のようです。ネットで調べてみても手がかりがありません。「VLC(そういう名前のソフト)」なら何とかなるかもしれんと、VLCからBlu-ray Discをオープンしてみました。するとしばらく考え込んでいたVLC、エラーを表示した後、アニメの再生を開始しました。

さすがにハイビジョンの画像はきれいです。ただToast9のBlu-ray書き込みソフトのエンコーダーはよほど出来が悪いのでしょう、やたらブロックノイズが発生しています。ハイビジョン画像の録画を止めてしまったのは、Toast9のBlu-ray書き込みソフトの出来の悪さが一つの原因だったんだと、やっと思い出しました。それにBlu-rayへのエンコードに膨大な時間がかかるのも、もう一つの原因でした。

その頃になってやっと思い出しました。Blu-ray DiscはMacで見たのでは無くてPlaysation3で見たのでした。うーん物忘れがひどくなっていますねぇ。

それで本題の「秒速5cm」っていいですねぇ。この作品を見る度に、心の中で両手を上げて「もう降参。」と呟いています。

2009年11月3日火曜日

釣果記録2009-11-03

11月03日 火曜日

大潮 干潮04:40, 満潮11:25
場所 王子が岳の砂浜(岡山県倉敷市)
時間 05:00 -- 09:00

まだ暗いうちに釣り場に着いたものの、国民宿舎前の石垣波止にはすでに人がいました。それで国民宿舎前から少し東の方に場所を構えました。

まず、電気ウキ仕掛けのメバル用の棹で沖の方を流してみます。潮はほぼ干潮に近い状態だったので、20m沖くらいまでは、仕掛けがすぐに海藻に引っかかります。エサ取りがいればすぐにかかるだろうと予想していましたが、30分流してもウキに変化はありません。

これはエサ取りが少ないのだろうと喜んでいたのですが、、、。棹立てを忘れていたので、近くの岩に棹を立て掛けて青虫と岩虫を餌にして遠投と近投と投げ分けました。しばらくして棹先に短い振動が伝わって来たのだけれど、カレイにしては変。上げてみるとチャリコだった。うーん、これがまだいたのか、、、。とすると大量のエサ取りがいるはず。

さらに、隣の人がやって来て話をしていたら、アナゴが釣れましたとの事。うーん、アナゴがいるとは、まだ海は暖かかかったようです。カレイ釣りのシーズン始めとは謂え、これでは大量のエサ取りのため、投げた餌は一分間もすると食い尽くされてしまいます。

その悪い予想通り、あっという間に餌がなくなります。今日はエサ撒きにやって来たようなものです。せめてエサ持ちの良いコウジでも用意しておけばよかった。

投げやり気味になって藻場の十メートル程沖に投げた棹をあおっていたら、根掛かりかと思うような重さが、、、。上がって来たのがこれです。

マコガレイちょうど40cmでした。

2009年10月29日木曜日

釣果記録2009-10-29

10月29日 木曜日

中潮 満潮20:14
場所 下津井の県漁連裏の波止
時間 15:30 -- 20:00

いつだったか、運の無さを嘆いて「悪運」を記したわずか三日後、車の左側面を自宅のコンクリートの側壁で思いっきりこすってしまい、中破レベルの損傷を受け、修理中と相成ったため、代車で下津井まで出かけました。

釣りでも「悪運」は憑いていました。
サビキ仕掛け一セット、ロスト。
インチク一個、ロスト。
エギ二個、ロスト。
バイブレーション一個、ロスト。

これで何をやっていたのかと云うと、最終的にはこぶりのタチウオを一匹釣り上げたのだから、タチウオ釣りをしていた事になります。隣の人はタチウオを二十匹ほど釣り上げていましたが、、、。

下津井のタチウオはバイブレーションに反応が良いようで、ソフトルアーには見向きもしません。バイブレーションでやっとタチウオを釣り上げた次の一投目、バイブレーションだけが海の中へ飛んで逝きました。道糸がリールにがっちりと絡みついていました。虎の子のバイブレーションをなくしてしまい、あっ、さっぱり、、、、。

2009年10月23日金曜日

釣果記録2009-10-22

10月22日 木曜日

中潮 干潮19:49
場所 下津井の県漁連裏の波止
時間 16:00 -- 21:00

夕まずめ時をタチウオを狙わんとて、出かけてみました。

ソフトルアーを投げていましたら、アタリが1回ありましたが、歯形がついてボロボロになったソフトルアーだけが戻ってきました。
その後さっぱり駄目。アタリがありません。まだ群が小さいようです。

仕方が無いので、餌木を振っていましたら、アオリイカ胴長15cm・13cm・12cmの3匹が釣れました。まだあまり大きくないです。

2009年10月19日月曜日

悪運

昨年からなのだけれど、この季節になると急激に悪運が強くなってくる。

新車購入後二年で、昨年は車のぶつけられ事故を一ヶ月の内に連続三件。四件目で車を燃やされそうになったけれど、それは辛くも逃れた。

今年は、昨年ほどでは無いけれど、すでに車のフロントに鉛の重りをぶつけられたような傷を付けられた。
メガネが合わなくなったので眼鏡屋へ行って、レンズを新しいものに変更してもらったら、フレームのツルが折れてしまった。
その修理に、新しい部品の発注に一週間程度要するとかで、予備の眼鏡が必要になってしまった。
新しいレンズ八千円とフレームの修理六千円と予備の眼鏡に一万円。これでは最初から新しい眼鏡を購入すれはよかったのだ。
その他、細かいものになると数えきれなくなり、いちいち腹を立てる気力も失せてしまった。

幸い昨年の経験から、この悪運は五週間しか続かない事が分かっているので残るのは二週間程度。
出歩かなければ悪運に遭遇する事はないのだろうがねぇ。

悪運は、一回だけなら腹が立つが、連続すると気力が失せてくる。

2009年10月18日日曜日

釣果記録2009-10-18

10月18日 日曜日

大潮 干潮04:42
場所 下津井の県漁連裏の波止
時間 03:00 -- 07:00

前回、タチウオを逃がしたので、雪辱戦のつもりで出かけました。

自宅を出発する時にはそんな事はまったく予想しなかったのですが、途中の車の中で、風が強くなったような気がしました。そんな事ないだろうと思って釣り場で車を降りると、やはり強風でした。

餌木がまったく飛ばないだけでなく、強風による二枚潮と大潮の激流で餌木で底取りもできません。

かねて用意のソフトルアーを投げ続けましたが、反応がありません。タチウオは風に吹かれてどこかに行ってしまったようです。

隣をよく見ると周囲はみんな浮きサビキでアジを釣っているようです。作戦変更して、サビキの先にインチク40gを付けて引っ張ってみました。でもその時分からアジのアタリがピタリと止まってしまいました。

夜が明けた頃、波止ぎわで根がかりのような重いアタリが、、、。マダコでしたけれど、取り込み寸前で針外れ。その後アオリイカが1匹だけ釣れました。17cm と少し大きめでした。

2009年10月16日金曜日

釣果記録2009-10-15

10月15日 木曜日

中潮 干潮14:52, 満潮21:17
場所 下津井の県漁連裏の波止
時間 17:00 -- 20:30

イカ狙いに出かけてみました。
でも今日は反応が鈍い。イカの気配があまりありません。
隣の人がイカを釣りました。でも小さい。

その後、夜光のエギを遠投して中層狙いしていたら、ゴンゴンと覚えのあるアタリ。
ドラグを緩めていたので道糸が一気に出てゆきました。そして沖の方で銀色の細長い魚体が跳ねました。
こりゃいかんと、ドラグを閉めてから糸を引くと、残念ながら魚は逃げていました。
エギでタチウオを釣るのは難しかった。

結果、ボーズ。

2009年10月12日月曜日

ドーナツ

何年かぶりにドーナツを作ってみたくなって作ってみました。

材料:小麦粉、砂糖、塩、ふくらし粉、乾燥イースト、を適当量。そして卵1個。
これに水を少量加えて固めの生地を作り、適当な時間を置いて天ぷら油で揚げました。なんともいい加減な作り方なのです。

本当にいい加減なので、天ぷら油がほとんど無い事に直前になって気がつきました。しかたが無いので、なんとかしたのですが、少量の油ゆえか、油の温度が上がりすぎて表面におこげが出来た割に、中の方の出来が今ひとつでした。

乾燥イーストを使ってみたのは初めてでしたが、モチモチしたドーナツになりました。

2009年10月4日日曜日

釣果記録2009-10-04

10月04日 日曜日

大潮 干潮: 07:41
場所 境港の「夢みなと公園」
時間 03:30 --- 07:30

サゴシが釣れていると聞いて出かけてみました。サゴシはここ数年、アタリはあってもフック外れやライン切れで釣り上げた事がありませんでしたから。

釣り場に来てみると、人でいっぱい。発電機が三台も稼働しています。中アジが釣れるのだそうです。20cmくらいのアジがそこそこ上がっています。集魚灯の灯りから少し離れて暗くなっている場所でサビキを開始。こういったサビキは夜行サビキでないと駄目なのだそうです。

でも中アジクラスはやはり数釣れない。夜が白み始めた頃にカマスを二匹釣り上げ、ルアーモードに変更。シーバスロッドで黄色のバイブレーションを投げてみました。
二投目でアタリ。5秒でフック外れ。さらに続けてアタリ。やはり5秒でフック外れ。
数投後、大きなアタリ。近くまで寄せてきてもぐんぐん下に潜ります。これは大物かも。その瞬間にフック外れ。
数投後、アタリ。すぐにフック外れ。今日も駄目かもしれない。

この日は周りでマウスと云い、ネズミに似せた浮きを使ってサゴシを釣り上げている人も複数。

でも、その後4匹連続してサゴシを釣り上げる事ができました。
サゴシはサワラの子供の事。岡山以外ではあまり食べないのだそう。
たくさんサゴシが釣れたので、味噌漬けにしてみました。
その他の釣果、アジ約三十匹、ミニセイゴ二十匹、セイゴ一匹、オニカサゴ一匹。
サビキで一度大きなアタリがあったものの、途中ですっぽ抜け。
今回ヒラメは釣れませんでした。

2009年10月3日土曜日

釣果記録2009-09-27

9月27日の真夜中からふと思い立ってしまなみ海道に出かけてみました。目的地は周防大島では無く、伊予大島の友浦港です。しまなみ海道は、向島から南には行った事がありませんでした。午前2時頃に岡山を出発、瀬戸大橋は15分もあれば渡り終わるので、しまなみ海道なら30分もあれば大島まで渡り終わるだろうとタカをくくっていました。
でもその認識は間違いだったようです。南へ行くというよりは西に向かっていると考えた方がよかったようです。しまなみ海道へ入ってから1時間以上かかってやっと大島の友浦港へ到着しました。出発地点から130km程の距離がありました。
到着してみれば、すごい風です。
とはいえ、せっかく来たのですから、ちょっと竿だししてみたい。それで北波止の方に行ってみました。波止先端には一人、先行者が、、、。ジグを投げたり、サビキをしてみたり、餌木をしゃくってみたり、しましたけれど、反応無し。
やはり初めての場所は、勝手が分からないのでどうも苦手ですね。早々に退散しました。距離から考えると山陰釣行とあまり変わりませんし、高速料金1000円だとすると、山陰へ行く場合の二倍の高速料金が必要になるので、うーん。

より大きな地図で 友浦港 を表示

2009年9月25日金曜日

釣果記録2009-09-24

9月24日 木曜日

中潮 干潮;20:56
場所 与島フィッシャーマンズ・ワーフの波止
時間 17:00 -- 20:30

せんだって9月21日に訪れた時は早朝で、風が強く釣りにならなかったので、条件が良いはずの時間に出かけてみました。風はほぼ無風状態。中潮の干満差が小さくて潮の流れの緩やかな時間帯でした。ワーフの波止には先行者がいましたが、釣りを終了して帰ってしまい、誰もいなくなってしまいました。どうやら日中は小さいサバの群がいるようです。

釣り始めてたて続けに4匹、コロッケサイズのコウイカがヒット。これはひょっとするとコウイカしか居ないのではないのか、という焦りが。周囲に宵闇が訪れる頃になってやっとコロッケサイズのアオリイカがヒット。その後、胴長15cm越えのサイズのアオリイカが釣れ出してよかった。アオリイカは大小取り混ぜて5匹でした。

エギは2.0号よりも2.5号の方が良かった。この場所は、エギ2.0号にシンカーの鉛を巻いてみたとて、海底に達するまでに潮に流されて使いづらいという印象でした。

2009年9月23日水曜日

釣果記録2009-09-23

9月23日 水曜日

中潮 満潮0:41
場所 下津井の県漁連裏の波止
時間 03:30 -- 06:00

雨模様の天気でしたけれど、連休も残りわずかなので出かけてみました。波止の角には人がいたので、波止の先端まで来てみました。先端は初めてでしたけれど、5分程すると小さいアオリイカが釣れました。餌木には触手2本だけがかかっているだけでした。スレているんでしょうねぇ。その後、餌木をいろいろ変更してみても夜明けまでに釣れたのは、この1匹だけでした。

2009年9月21日月曜日

釣果記録2009-09-21

9月21日 月曜日

中潮 干潮: 06:14
場所 下津井の県漁連裏の波止、与島フィッシャーマンズ・ワーフの波止
時間 02:00 -- 06:00

今日は、大きなイカがいないだろうかと、昨夜に引き続いて下津井の波止に出かけてみました。でも昨夜以上に渋かった。コロッケサイズのアオリイカが2匹だけでした。夜空けが近づくとともに風が強くなり、寒くなってきたので帰り仕度をして帰ってましたら、ふと、瀬戸内海の沖の与島まで行けば大きなイカがいるかもしらんと思いついて、行ってみました。

今年は、与島フィッシャーマンズ・ワーフの波止の灯りが点いていました。それに来てみると、波止のあちこちにイカスミの跡が、、、。
でも、沖の方はさらに風が強かったし潮は激流でした。しばらく頑張ってみましたがけれど、諦めました。

2009年9月20日日曜日

釣果記録2009-09-20

9月20日 日曜日

大潮 干潮05:44
場所 下津井の県漁連裏の波止
時間 03:30 -- 06:30

秋シーズン最初のイカ釣りに出かけてみました。
餌木はオレンジの2.0号に鉛を少々巻き付けてみました。

そこそこ釣れましたけれど、アオリイカはまだ小さかった。
ドラグは緩めていたんだけれど、千切れた足が釣れました。

ロッドはずっと8フィートを使ってきたのですけれど、
もう少し小さなロッドが必要なのでしょう。

2009年9月13日日曜日

釣果記録2009-09-13

9月13日 日曜日

長潮 満潮 07:25
場所 境港の「夢みなと公園」
時間 03:00 -- 08:00

先週の雪辱戦をせんとて、メタルジグをしっかりと準備して出かけました。
新しいPEライン0.8号と30gのメタルジグは軽く50m以上飛びました。

でも、肝心のアタリがさっぱりありません。この日はメタルジグはさっぱり駄目で。バイブレーションのみにサゴシが少しばかりのヒットをしていただけでした。
準備していたメタルジグには小さなカマスがットしただけでした。

仕方がありませんので、サビキでアジを釣っていました。
すると突然、隣の同行者のサビキ竿に大きなアタリが、、、。

上がってきたのは頭部から背中にかけて緑色の奇麗なブリの子でした。
その後すぐに、またしても隣の同行者のサビキに大きなアタリが、、、。

上がってきたのは、ヒラメでした。
さらに、それよりももっと大きなアタリが、、、。羨ましい、、、。
でも、これはラインを切られました。

その後、ミニセイゴを加えて、五目釣り達成。
残念ながら、個人的にはちっとも雪辱戦になりませんでした。


2009年9月7日月曜日

ARDENT SUITOR

ウォルターといえば、ARDENT SUITOR(熱烈な求婚者)という恋愛コメディー小説がありました。
その主人公の名前がウォーターと言うのでした。

ウォーターという若者が、彼女の父親に会って、結婚の許可を取り付けようとする涙ぐましい奮闘話なのです。

ウォーター(水)は英語で聞くとウァラー(藁)とか、ウォルターと聴こえたりするのですよね。
このあたりもボケネタに使われています。

この本、ネットで調べてみたら、どうも絶版になっているようですねぇ。

サー・ウォルター・スコットのアイバンホー

サー・ウォルター・スコットのアイバンホーを読んでいたら、現在のどこかの国を皮肉ったような文章がありました。
該当部分を日本語に翻訳してみました。

そんな場所がこの物語の主要な舞台であり、時代はリチャード一世(一一八九〜一一九九)の晩年にかけての頃である。当時、リチャード一世は捕らわれの身から無事にイングランドに帰還し(訳注:十字軍の遠征からの帰途、フランスで捉えられていた)、王の帰還を期待するというよりも熱望していた熱狂的な支持者達にとっては大変な出来事だったが、その彼等もやがてあらゆる種類の従属の抑圧に苦しめられる亊になるのだが。貴族達の権力はステファン(一一三五〜一一五四)の治世の間に法外なものとなっており、英明な王であったヘンリー二世(一一五四〜一一八九)は彼等の力を何とかそぎ落として、多少とも王に従うようにしたのだが、今や貴族達は旧来からの自分たちの権利を最大限に復活させ、弱体なイングランド王権を侮り、自分たちの城を強固にし、家来達の数を増やし、周囲の人間を隷属民の地位におとしめ、動乱の時代は近いという空気の中で、あらゆる手段を使って事あるごとに、自分が数ある中でも強者だと見せつけようとしたのだ。
 下級地主の亊をフランクリン(小地主)と呼ぶが、彼等の状況は、イングランドの法律の建前上は封建領主から独立した地位を与えられているはずだったのだが、今や非常に不安定なものになっていた。多くの場合はそうだったのだが、もしも彼等が近隣の王を気取る領主の庇護下に入って、同盟と庇護という相互協定により、つまり自分の全てを主人のために捧げる亊により、自ら封建的な編み目の中に組み込まれるのを良しとすれば、一時の平和を手にする亊ができたかもしれぬ。しかしそれは、あらゆるイングランド人が尊重した独立の気風を犠牲にしなければならず、彼等の庇護者の野望、つまり無謀な遠征の一隊に徴用される危険に巻き込まれる恐れがあったのだ。

2009年9月6日日曜日

釣果記録2009-09-06

9月6日 日曜日

中潮 満潮05:51
場所 境港の「夢みなと公園」
時間 04:00 --- 08:00


秋のシーズン最初の釣りです。
午前3:30に釣り場に到着。風が結構強かった。

暗い時間帯から少しずつ豆アジが釣れていた。
すっかり明るくなってからはそれも釣れなくなった。

代わりに、バイブレーションとメタルジグを使っている人にサゴシ、セイゴ、ブリの子、等が周囲でバラバラと釣れ始めた。

その時、海底近くを漂わせていたサビキに小さなアタリがあって、引き上げ始めたとたんにサビキ竿に強い引きがありました。ヒラメかもしれないと喜んでリールを巻いていると仕掛けをそっくり切られてしまいました。

次はメタルジグです。一度目の引きは外れてしまいました。
さらに続けていると、今度はしっかり掛かりました。
でもリールを巻いていると、リーダーを切られてジグを取られてしまいました。

結局、釣果は豆アジ20匹ほどと、カマス1匹、ミニセイゴ1匹だけでした。


2009年7月25日土曜日

わたしが子どもだったころ (4.1)

私が四歳の頃、島根県の益田という町に数ヶ月住んだ事があった。
当時の益田という町は、一本の道路の周囲に家並みが続く昔の宿場町のような感じの町だったと記憶している。
その道路に面した家の二階の六畳間に間借りをして住んでいた。

季節は夏だった。
その家の一階は青果店で、当時は珍しかった電気冷蔵庫の中に冷えたスイカを1/8に切ったものが置いてあって、一切れ20円で売っていた。
それを時々ねだって買ってもらうのが本当に楽しみだった。

ある日、私が二階の窓から外の風景をぼんやりと眺めていると、階下の方から悲鳴が聞こえた。
私には二つほど年の離れた弟がいた。その弟が便所に落ちたといって母が悲鳴を上げていたのだ。
当時の事なので、水洗便所では無く、便壺の上に板を渡しただけの汲み取り式だった。

弟は、青果店の男性に助け上げられたようだ。
私がおそるおそる一階の風呂場をのぞくと、糞まみれになった弟を母が水で洗っていた。
その後、数日間かけて弟から臭いが消えていった。

私はその後長く、便所の暗がりの恐怖と共に転落の不安にさいなまれる事になった。

2009年7月19日日曜日

釣果記録2009-07-19

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7月12日 日曜日

中潮 満潮01:50,干潮08:12
場所 大室港の旧波止
時間 05:00 -- 08:00

イカいません。ママカリもいません。

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7月19日 日曜日

中潮 干潮02:55,満潮07:27
場所 田井新港の波止
時間 05:00 -- 08:00

両側の人がコウイカを釣りましたけれど、私はボーズ。
ベカがいましたが、2号の餌木では無理でした。
波止先端の電灯が消えたままでした。
港際ではサヨリが釣れていました。

2009年7月5日日曜日

釣果記録2009-07-05

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7月4日 土曜日

中潮 干潮03:43,満潮08:19
場所 牛窓海水浴場の波止
時間 04:00 -- 06:00

昨日のイカ釣りに気を良くして2匹目のドジョウを狙うも撃沈さる。

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7月5日 日曜日

中潮 干潮04:32.満潮09:06
場所 大室港の旧波止、田の浦港

ママカリが釣れているとの情報に久しぶりに下津井方面へ出かけてみました。大室港では5月下旬にママカリが釣れていましたけれど、まだ釣れているたのかと思っていましたが、どうやらガゼ情報だったようです。

途中から田の浦港にも廻ってみましたが、ママカリはいませんでした。餌木3.0号にシンカーの鉛を巻き付けて投げてみました。でも、やっぱりイカもいませんでした。

田の浦港は瀬戸大橋の下にある漁港です。

2009年7月3日金曜日

釣果記録2009-07-03

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6月25日 木曜日

中潮 満潮12:02, 干潮18:43
場所 むしろえ海岸(第2牛窓海水浴場)
時間 15:00 -- 17:00

牛窓海水浴場の波止に人が大勢だったんで、普段行くことの無いむしろえ海岸へ行ってみた。
ここは初めての場所で、よく知らなかったのですが、遠浅の海岸ですねぇ。干潮時には浅すぎて釣りになりそうにもありません。
それでもせっかくなので、浜の端から端まで釣りざおを持って歩きました。でもフグが一匹釣れただけでした。

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6月27日 土曜日

中潮 満潮02:31, 干潮08:52
場所 牛窓海水浴場の波止
時間 04:00 -- 06:00

人出だけが大勢でした。ボーズ。

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6月28日 日曜日

中潮 満潮03:12,干潮09:40
場所 牛窓海水浴場の波止
時間 04:00 -- 09:00

昨日と同じ。ボーズ。イカの影すら見えない。
もう春イカのシーズンも終わったかも。

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7月2日 木曜日

長潮 干潮13:18,満潮20:30
場所 牛窓海水浴場
時間 15:00 -- 17:30

新聞の釣果欄にイカがちらほらとの記事が。まさか今更とおもいつつも出撃。いつもの波止には人が大勢。
仕方がないので、ショアジッギング。浜を端から端まで歩いて、最後にいつもの波止まで。ボーズでした。

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7月3日 金曜日

若潮 干潮02:35,満潮07:23
場所 牛窓海水浴場の波止
時間 04:00 -- 05:30

昨日、波止の上に新しいスミがたくさんあったものだから、暁の出撃。
五時ごろにイカがヒット。なんとかバラすことも無く取り込み成功。
まずまずの大きさで、胴長27cmのアオリイカでした。

2009年6月22日月曜日

釣果記録2009-06-21

6月21日 日曜日

大潮 干潮04:05, 満潮08:48
場所 牛窓海水浴場波止
時間 04:00 -- 08:30

午前5時、流れが左から右へ激流の頃、20cm 程のアオリイカを釣るも、波止前の捨て石の岩の間に挟んでしまい、あれこれしている内にラインブレーク。イカさんは岩の間に消えてゆきました。今年最初のバラシはアオリイカだった、、、。でも、あの引き味を味わえたのだからヨシとする。

波止と下の岩場を行き交っている内に膝と肘は擦り傷と打ち身だらけに、両の二の腕は筋肉痛が、、、。年齢を感じてしまう、、、。

2009年6月20日土曜日

わたしが子どもだったころ (8)

今では少なくなったけれど、私が六歳の頃、近所には柿の木がずっと多かった。夏になれば蝉が大繁殖し降るような蝉の音を聞き、秋にはおやつを失敬する場所にもなった。
その年の秋、わたしは柿の木に登って枝を揺らしてはしゃいでいた。その木は近所の家の裏畑に生えていたものだった。その歓声を聞きつけたのだろう、ばーさんが家の裏口に顔をのぞかせた。
その時、私の登っていた柿の木が根元からポッキリと折れてしまった。私は倒れてゆく木といっしょに畑に叩き付けられた。幸い畑の土が柔らかかったのと、低木だったため傷があちこちに出来たものの、ひどい怪我には至らなかった。さて、これを見ていた主のばーさんがどうしたか。

「そこで待っとけ。」と言うなり、家の中に姿を消し、しばらくして縄を持って戻ってきた。「この悪たれぼーずめ。」と言いながら、私の襟首をつかむと、近くにあった納屋の方へ私を連れてゆき、手に持った縄で私を柱にぐるぐる巻きにして縛り付けてしまった。
それから夕方になるまでの何時間か泣けど叫べど誰も助けは現れなかった。夕方になってばーさんが私の家の方へ連絡したのだろう、母親が詫び言を述べにやって来てくれて一件は落着した。

今でも、まあ適切な処分だろうと思うのだが、、、。

釣果記録2009-06-20

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6月18日 木曜日

若潮 干潮12:59, 満潮18:59
場所 田井新港
時間 16:00 -- 19:00

波止に人が多かったので、岸壁でエギングを。
結果、ボーズ。

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6月20日 土曜日

中潮 干潮03:06. 満潮08:01
場所 牛窓海水浴場波止
時間 04:00 -- 05:30

人多し。途中から南東の強風が吹く。

波止中ほどで5-6人の釣り集団の帰った後はゴミだらけ。
これほどひどい汚し方も珍しい。

エギングでボーズ。
気に入りのエギを2個失う、、、。

2009年6月14日日曜日

釣果記録2009-06-14

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6月13日 土曜日

中潮 満潮02:27, 干潮08:49
場所 牛窓海水浴場の波止
時間 04:00 -- 06:00

まだ朝の暗いうちから大勢の人出。
頑張ってみたけれど、ボーズでした。
周りも釣れていなかった。

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6月14日 日曜日

小潮 満潮03:04, 干潮 09:33
場所 牛窓海水浴場の波止
時間 04:00 -- 08:30

悔しいので雪辱戦を。でもなかなか釣れません。周囲の人も釣れません。

7:00頃に隣の人がモンゴウイカを釣り上げました。
餌木をいろいろと変えて粘っているとやっと7:30頃にモンゴウイカを連続2匹釣り上げました。胴長29cmと26cmのモンゴウでした。

ここのモンゴウイカはスレているのかもしれないが、どうもヒット餌木があるようだね。

それにしてもアオリイカはどこにいったのでしょうかね。今年はさっぱり姿を見かけません。

2009年6月12日金曜日

わたしが子どもだったころ(7)

私が五歳の頃、当時の田舎としては珍しく、近所のおじさんがオート三輪を手に入れた。

その頃は、田舎で自動車を見かける事は稀で、信号機に至っては岡山県内に1ヶ所だけあったという噂だった。


ある雨上がりの日だった。

おじさんが車に乗ってみるかと言うので、物珍しらしさもあったのか、私は車に乗せてもらう事になった。

そのオート三輪はハンドルは文字通りの棒ハンドルで、現在ではなじみの丸ハンドルでは無かった。

座席は大人二-三人が座れるように出来ていたけれど、もちろんシートベルトなどという物は無かった。

しかし、変わっていたのはそれだけでは無かった。

何よりも変わっていた事は助手席側の車のドアが無かったのだ。

そして助手席側の足下の床に直径50cm程の大穴が開いていて下の道路が丸見えだったのだ。

さて、こういう状態で雨上がりの田舎道をドライブが始まった。

私はすぐに恐怖に体がひきつった。

道路の水溜まりを避けようと運転手が車のハンドルを左右へきる毎に私の体は車外に放り出されそうになった。

なにしろ何も掴む物が無いので、座席に両手をついて踏ん張るしか無かっのだ。

足を床について踏ん張ろうにも、足は床に届かなかったし、仮に届いたにしても床には大きな穴があったので、踏ん張る事はできなかったのだ。

そして運悪く車の前輪が道路の水溜まりを踏みつけると、床の大穴から大量の水しぶきが助手席の私の足を襲った。


ほんの5分間か10分間のドライブだったのだが、車の怖さが身にしみた出来事だった。


その3年後、小学校の同級生が原付自動二輪のカブを運転して得意そうな顔をしているのを見かけても羨ましいなどとは思わなかった。


2009年6月11日木曜日

釣果記録2009-06-11

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6月11日 木曜日


中潮 満潮12:25, 干潮18:52

場所 牛窓海水浴場の波止

時間 15:00 -- 17:00


釣り場は凄い風が吹いていた。

ただ、前回と違って水の濁りは無かった。

風に背を向けて粘っているとキューンと久しぶりの手応え。

ひょっとするとと思ってゆっくり引き寄せてみると、胴長20cmのモンゴウイカ。


2009年6月8日月曜日

釣果記録(貧乏神記録)2009-06-07

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6月7日 日曜日


大潮 干潮05:16, 満潮10:01

場所 下津井のどこか

時間 05:00 -- 07:00


午前4時。

いつもなら滅多に引っかかる事の無い信号機。

連続して六回ひっっかかる。

やっと信号機の少ない道にはいったら、ノロノロ運転の車が一台。

貧乏神がやって来たようだ。


午前5時前、いつもは空いている釣り場は何故か見たことも無い程の人で溢れていた。

仕方が無いので、何となく歩いていたら、来たことの無い場所にゆきついた。

ただ、やっぱり人は少ないながら先行者はいた。


元気を入れてエギを投げること三回、PEラインがかなり手前で

あっさりと切れてしまった。手前に鋭い根があったようだ。


場所を少し移動。気分を変えてエギ投入。五投目で根がかり。エギをロスト。

さらに粘るも、さらにエギをもう一つロスト。


予定の行事の時間もあったので、ボーズで撤収。

行事開始早々、会場に予定を知らせていないと、怒りのお断り。

あえなく行事も沈没。


年をとると不幸は一度にやって来る


2009年6月4日木曜日

釣果記録2009-06-04

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6月3日 水曜日


若潮 干潮14:07, 満潮20:48

場所 大室港 北波止

時間 20:00 -- 23:00


シラサエビにてメバル釣り。

小さなメバルばかりで17cmのメバル2匹と

20cmのカサゴ2匹以外はリリース。


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6月4日 木曜日


中潮 干潮14:52, 満潮 21:43

場所 牛窓海水浴場の波止

時間 16:00 -- 17:00


海に着いたら、風が強く、波が捨て石に当たって濁りだらけ。

こんな状態じゃ釣れる訳ないと思いながら餌木をしゃくるも

やっぱり駄目でした。

2009年6月2日火曜日

わたしが子どもだったころ (6)

私が五歳か六歳の頃、近くの河原で自衛隊の演習があった。

戦車がやって来たかどうかはっきりとした記憶が無いのが残念。
でも、兵員輸送車とともに網に草を載せ迷彩を施された大砲が何門もやってきた。

大砲は30度程の角度で空を睨みながら、一斉に何度も轟音を放った。
もちろん空砲だったが、20メートル程度しか離れていない場所で聞く大砲発射時の地面をゆるがす轟音は、子供心を震わせる迫力があった。
それ以外にも何かのデモンストレーションがあったのだろうが、はっきりとした記憶が無い。
演習終了後、80メートルほどの川幅に一時間もかけずに橋をかけ、そこを大砲やら自動車が続々渡河した後、あっという間に橋が消えてしまったのにも驚いた。

あんなすごい音のする兵器を使って戦争をしていたなんて、怖いなぁ、と思うと同時に、いつの間にやら、戦闘機や戦車といったプラモデル作りに夢中になるようになってしまった。

2009年5月31日日曜日

釣果記録2009-05-31

5月31日 日曜日


小潮 満潮04:42,干潮11:17

場所 大室港 北波止

時間 05:00 -- 09:00


小潮にもかかわらず潮位が高かったせいか (235) 、潮が川のように流れる。

エギンクにてシリヤケイカ2匹。

2009年5月29日金曜日

釣果記録2009-05-28

5月28日 木曜日


中潮 満潮12:05, 干潮19:41

場所 牛窓海水浴場の波止


時間 15:00 -- 16:30

小雨の中を出撃。海に到着する頃、大雨になる。


悔しいので傘をさしてエギング。

でもやっぱりボーズでした。

波止にはあまりスミは無かった。


男山ケーブルカーと石清水八幡宮

男山ケーブルカーです。
出発します。
正面窓の向こうに上りのケーブルカーが見えます。
展望台から木津川の方を眺めてみました。
山頂にある石清水八幡宮です。

2009年5月28日木曜日

岡山 備中 稲荷山ケーブルカー (Mt. Inariyama cable car in Okayama)

Mt. Inariyama cable car in Okayama had been abandoned in 1944, with aggravation of WWII, and never back again (1929 --- 1944).

第二次大戦まで岡山に存在した稲荷山ケーブルカーです。最上稲荷から奥の院までを結ぶ交通機関でした。

Because of a lack of iron and steel for making combat machines during WWII, military authorities commanded compulsory delivery of iron to the goverment. This is why many cable cars at that time had been abandoned.

石清水八幡宮にある男山ケーブルカーなども同じように第二次大戦中に廃止されましたが、八幡では戦後ケーブルカーが復活しました。
Included in these photos are antique postcards.

しかし、岡山では戦後ケーブルカーが復活する事はありませんでした。
やっはり山上に神社や寺の本殿が無い事には無理も無い事かもしれません。下の写真で奥の方に幾つかの溜め池がありますが、その池の間を右から中央に伸びてきて一番手前の池の下で止まっている線路は、中国鉄道稲荷山線です。その路線は備中高松駅から稲荷駅までを結んでいましたが、1944年に廃止されました。
An old map (1924) shows railways that lead to the shrine, Saijyou-Inari. The cable car connected mountain-foot Saijyou-Inari station to mountain-top Okuno-In station, and had not been constructed yet in 1924.

下の地図は大正13年頃の吉備線を示しています。高松駅から稲荷山駅まで中国鉄道稲荷山線が延びています。

ケーブルの山下駅が手前に写っている絵葉書がありましたのでそれを追加してみました。

2009年5月26日火曜日

わたしが子どもだったころ(5)

私の四歳か五歳の頃、岡山に戻った私には悩みの種が出来た。

それは近所に飼われていた白い猫だった。

ある日、道端でその猫とバッタリ出くわした。その瞬間、猫と目が合った。猫は威嚇の唸り声を上げた。私は怖くなって道の端に避けた。すると猫は満足そうに道をゆっくりと通り過ぎていった。そんな事が三回くらい繰り返されただろうか。わたしはすっかり猫恐怖症になっていたし、猫おろか人に対しても目を見るという事に恐怖を感じるようになっていた。

そんなある日、一方が50センチメートルくらいの高さの切り通しになっている細い道で猫と出くわした。猫を避けるのは無理と判断した私は逃げようとした。その瞬間、猫が襲いかかってきた。猫がいわゆる三角飛びをするのを見たのはそれが最初だった。猫は走りざまに切り通しの崖にジャンプし、そこからさらに私の首めがけてジャンプした。逃げようと体を動かしていた私は辛くも猫の攻撃から首を守った。攻撃の的が外れた猫は私の胸の辺りにぶつかった。それ以後の記憶は無い。

それから何故かその猫を遠くに見る事はあってもいきなり道端で出くわす事は無くなった。

後年、テレビの中の近衛十四郎演じる素浪人月影兵庫は猫が苦手で猫を見ると逃げていた。私は内心、やっぱり仲間がいたんだと思ってひどく安心した覚えがある。

2009年5月25日月曜日

比叡山鉄道坂本ケーブル

Sakamoto cable car is famous for the long distance from mountain-foot Sakamoto station to mountain-top Enryakuji station. Please refer other website. The map shows a car parking near Sakamoto station. It takes 15 minutes on foot from here to the cable station.

岡山県にはケーブルカーが無いのが日頃から残念でした。ケーブルカー好きとはいえども日本最長と誉れの高い坂本ケーブルカーに一度も乗った事が無いのではお話にならないと思っていました。
ただ、山下駅の坂本ケーブル駅の近くに駐車場がありません。実際に出かけてみると、ちょっと離れた場所に観光駐車場がありました。駐車場からケーブル坂本駅まで徒歩で15分程度です。
より大きな地図で 比叡山坂本の観光駐車場 を表示

Sakamoto station.

ケーブル坂本駅。
Here comes the cable car.

ケーブルカーの到着。
And now beginning to climb up.

ケーブルカーの出発。
Just arrived at Enryakuji station.

山上駅のケーブル延暦寺に到着。
Enryakuji station.

ケーブル延暦寺駅。
It takes 15minutes on foot from Enryakuji station to the temple, Enryakuji.

ケーブル延暦寺駅から徒歩で15分程度で延暦寺に到着。
こちら根本中堂。

2009年5月24日日曜日

木津川の流れ橋

念願の流れ橋へ行ってみる事ができました。

自動車で流れ橋へ至るには四季彩館へ行くのが良いとは聞き及んでいました。しかし、方向音痴なのかカーナビを駆使しても四季彩館へ行き着く事はできませんでした。その代わり、駐車場を見つける事ができました。
より大きな地図で 木津川の流れ橋 を表示

駐車場です。
南側の土手から見た橋です。
てっきり料金所があるのだとばかり。
橋の板の数は数えずにどんどん歩きます。
橋を北側の土手から見ました。
そうそう、帰り道で、近所の人に尋ねてやっと四季彩館の場所が分かりました。それまでは、無くなったものとばかり思っていました。

釣果記録2009-05-24

524日 日曜日


大潮 満潮 09:59, 干潮 05:05

場所 大室港の北波止


時間 05:00 -- 09:30

大雨の中を出撃。海に到着する頃に雨があがる。


エギングにてシリヤケイカ1匹とコウイカ2匹。

エギは2.5号と3.0号、色はオレンジ。大潮なので潮が川のように流れる。流れの速さにより、先錘式の仕掛けにして、錘を3号、5号、7号と交換する。

一番大きなコウイカは胴長19cm

ママカリとカタクチイワシが釣れ始めた。

2009年5月12日火曜日

1982年の秋

WEC-JAPANは1982年から開催とありますから、私がWEC-JAPANへ出かけたのは1982年の事になります。秋の夕方近く、新幹線の三島駅で降りて、タクシーを拾って仙石原のホテルまで。そこで松田コレクション主催のパーティがありました。ポルシェ社から水平対向16気筒エンジンの試作品が松田コレクションへプレゼントされていましたけれど、会場の中にジャッキー・イクスとヨッヘン・マスがいた事に驚きました。目の前を横切るイクスに何とか握手をと思ったのですが、気恥ずかしくて出来なかった。

その日、ポルシェ博物館も見学しました。多くの車が展示されていたので各車の印象は薄いのですが、モンスターマシンの917Kが意外に小さかったのには驚いた記憶があります。

翌日はWEC-JAPAN。ポルシェワークスチームの近くに設けられたダブルデッカー・バスが見学場所でした。パドック・パスをもらって、ポルシェワークスの傍から作業を眺めていました。ほんの10m程離れた場所をCカーが時速300kmで通過してゆく迫力と爆音には圧倒されました。あの時のCカーはロスマンズ・カラーのポルシェ956でした。車体は思ったよりも小さかったです。

夕方が近づくと帰り道が混雑するだろうと、午後3時にはサーキットを離れました。岡山までの帰り道、カレラRS2.7に乗せていただき、途中で運転までもさせていただきました。あの車のブレーキには驚いたなぁ。


それつけても、あの仙石原のポルシェ博物館は無くなっていたんですねぇ、、、。

2009年5月10日日曜日

備前岡山の吉井川にある倉安川水門 (The lock of Kurayasu canal)

Kurayasu canal (Kurayasu river) was digged in 1679 by Nagatada Tsuda who was a chief retainer of the Okayama clan. The lock of Kurayasu canal is a device for raising and lowering boats between stretches of water of different levels on Yoshii river and Kurayasu canal. It consists of two locks, the first(outer) and second(inner) lock. To keep a water level of Yoshii river being constant, a weir was built at the same time with locks. It can be seen in the middle of Yoshii river, in the southeast direction from the lock.

倉安川水門は吉井川(岡山県の東を流れる)に築かれた石積み堰とセットで江戸時代に作られたのだそうです。石積み堰は水門から南東の方角に見えます。


より大きな地図で倉安川水門を表示
Standing on the first lock and viewing the second lock.

これは旧道、つまり外側の水門の上の道から内側の水門を写したものです。昔ながらの風情が楽しめます。倉安川が出来た頃、池田の殿様が川船で吉井川から旭川まで船旅をしたそうな。江戸時代の山陽道の吉井川橋はちょうどこの付近に架けられていたはずですので、旅行く人の目をなぐさめた事でしょう。Standing on the first lock and viewing Yoshii river. We cannot see water outside the first lock because a road was constructed recently, which inhibits river water to be in touch with the lock anymore.

これは上と同じ地点から、水門外側に新しく建設された道路を写したものです。水門の外側が道路によってきれいに吉井川と隔てられています。
少し向きを変えて写した写真です。水門外側には水がありません。倉安川水門跡となって、もはや水門の役目を終えています。
ここから吉井川の中に見える、石積み堰がセットになって灌漑用水路を流れる水位を一定に保っていました。その石積み堰もかつての破壊の名残をとどめています。

A weir is in the middle of Yoshii river. A part of the weir had been broken (right side in the photo) about 10 years ago by evil mankind.
これは石積み堰の写真です。

釣果記録2009-5-10

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5月10日 日曜日

大潮 満潮 10:56, 干潮 05:58
場所 大室港の北波止

時間 05:00 -- 09:00
エギングにてシリヤケイカ5匹とコウイカ2匹。
一番大きなコウイカは胴長20cm。

2009年5月9日土曜日

釣り記録2009-5-7

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5月7日木曜日


中潮 満潮09:37, 22:37

場所 大室港の北波止の先


時間15時頃。

到着して3投目でいきなり雨が、、、。


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5月8日金曜日


大潮 満潮10:04, 23:16

場所 大室港の北波止の根元


時間20:30 --- 24:00迄。

電気ウキを使ってメバルの餌釣り。最初の1時間はアタリが無かったけれど、やがてポツリポツリと釣れてきた。16cmばかりの長さのタケノコメバルを3匹と、17cmのカサゴ1匹をキープして、それ以下のメバル10匹ばかりリリース。


途中でエビ形のプラグを使ってみたけれど、3投目に「ブチッ」という音とともにプラグをロスト。

2009年5月5日火曜日

釣り記録2009-5-3

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5月3日日曜日

小潮 満潮 6:26, 18:35
場所 田井新港の西波止

5:00 - 8:00迄。
ボーズでは無かったけれど、鯛ラバージグ炎月15gにて25cm程のグチ1匹のみ。リリース。イカは見えず。

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5月4日月曜日

長潮 満潮 7:28, 19:58
場所 大室港の北波止

ほぼ満潮の7時半頃から向かい潮になり立て続けにシリヤケイカが五匹。餌木はゴールド地にオレンジの2.5号。久しぶりにラインのキュインと鳴る音が気持ちよかった。

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5月5日火曜日

若潮 満潮 8:21, 21:02
場所 牛窓海水浴場の西波止

5:00 - 8:00迄。
25cm程のナマコ1匹。イカの姿は見えず。

2009年4月14日火曜日

校舎の歴史

校舎の歴史
写真が三つあるので、どれがどれやら見当をつけるのが難しかったけれど、どうやら右の丸い縁の写真が瀬戸女学校、下の写真が瀬戸江西学校のようです。

江西学校は江西尋常小学校を南の方から見たものでしょうか。

左上の写真は一寸見当がつかないけれど、研正実科女学校で調べてみました。
明治二十八年創立。岡山市谷尻土橋にあり。別名、土橋女学校。花嫁修業のための学校だった。第二次大戦の激化とともに閉校になる。

さて、丸い縁の写真に焦点を絞ります。左に少し欠けて写っている塀のある建物は警察署官舎の一部で、やや東側から取られた写真です。右側が瀬戸女学校の建物で、明治の末に立てられたもの。そしてこの写真が作られた時代は大正の1-9年頃。この写真の後、生徒数が増えたのでしょう、大正10年頃に、この校舎の奥に大きな校舎が新築されています。

この校舎がどういう風になるのか調べてみました。窓の配置からして二教室。昭和3年に50メートル西へ移動。戦争中には他の教室は勤労奉仕で工場に変わっていたけれど、この建物はトイレに変わる。戦後、再び講堂として利用。昭和41年頃に解体。つごう60年近く働き続けた事になるなぁ。

2009年4月10日金曜日

備中造山古墳

造山古墳(つくりやまこふん)
Tsukuriyama kofun(Tsukuriyama burial mound)

Blooming cherry blossoms on the mound.

中高校時代、あちこちの古墳に行ってみたものです。そこで分かった事は古墳に行くなら春先の季節がいいという事でした。冬では寒いし、夏では蛇が怖い。秋でもいいのですが、古墳には桜が植えられている事が多いので花を楽しめるのです。備前浦間茶臼山古墳や吉備津神社裏の中山茶臼山古墳などですが、造山古墳にも桜がありました。
A guide map of Soja district.

同名の作山古墳(つくりやまこふん)が西の方にあります。今回は行きませんでした。案内板に従って東に向かいます。
The parking area is only 50 meters away to the east of the mound.

りっぱな駐車場がありました。
Going up the stone steps.

駐車場を下りて前方部の方へ続く石段を上ります。
A stone coffin on top of the square mound.

前方部には神社があり、石棺が置かれていました。案内板を見ると阿蘇の凝灰岩製だとか。どうやら「こうもり塚古墳」の石棺と勘違いしたまま記憶していたようですね。
Standing on the square mound and looking at the path leading to the round mound.
前方部から後円部を見ると、前方部に続く道が見えました。
これは案内板にある古墳の地形図です。古墳が大きすぎるので、なかなか全貌を1枚の写真に収める事ができませんでした。