校舎の歴史
写真が三つあるので、どれがどれやら見当をつけるのが難しかったけれど、どうやら右の丸い縁の写真が瀬戸女学校、下の写真が瀬戸江西学校のようです。江西学校は江西尋常小学校を南の方から見たものでしょうか。
左上の写真は一寸見当がつかないけれど、研正実科女学校で調べてみました。
明治二十八年創立。岡山市谷尻土橋にあり。別名、土橋女学校。花嫁修業のための学校だった。第二次大戦の激化とともに閉校になる。
さて、丸い縁の写真に焦点を絞ります。左に少し欠けて写っている塀のある建物は警察署官舎の一部で、やや東側から取られた写真です。右側が瀬戸女学校の建物で、明治の末に立てられたもの。そしてこの写真が作られた時代は大正の1-9年頃。この写真の後、生徒数が増えたのでしょう、大正10年頃に、この校舎の奥に大きな校舎が新築されています。
この校舎がどういう風になるのか調べてみました。窓の配置からして二教室。昭和3年に50メートル西へ移動。戦争中には他の教室は勤労奉仕で工場に変わっていたけれど、この建物はトイレに変わる。戦後、再び講堂として利用。昭和41年頃に解体。つごう60年近く働き続けた事になるなぁ。