2009年11月8日日曜日
「秒速5センチメートル」
フッと気がつけばDVDだとばかり思っていたメディアの表面にBlu-ray Discと書いてあった。すっかり忘れていたけれど、NHK-BSで放送していたアニメをカメレオンを使ってMacで録画した物をMac OSX 10.5.7上のToast9のBlu-ray書き込みソフトを利用して作ったものだったっけ。
だとするとBlu-rayドライブが必要とホコリをかぶっていたI-Oデータ製品のBRD-UXH6を取り出してパーコンに接続。Blu-ray Discを挿入するとMacのデスクトップ上にディスクのアイコンが表示された。
あれ?
そういえばMacでBlu-ray再生ソフトってあったかな?確かにDiscの内容は見たはず。「DVDプレーヤー(そういう名前のソフト)」を立ち上げてみても駄目のようです。ネットで調べてみても手がかりがありません。「VLC(そういう名前のソフト)」なら何とかなるかもしれんと、VLCからBlu-ray Discをオープンしてみました。するとしばらく考え込んでいたVLC、エラーを表示した後、アニメの再生を開始しました。
さすがにハイビジョンの画像はきれいです。ただToast9のBlu-ray書き込みソフトのエンコーダーはよほど出来が悪いのでしょう、やたらブロックノイズが発生しています。ハイビジョン画像の録画を止めてしまったのは、Toast9のBlu-ray書き込みソフトの出来の悪さが一つの原因だったんだと、やっと思い出しました。それにBlu-rayへのエンコードに膨大な時間がかかるのも、もう一つの原因でした。
その頃になってやっと思い出しました。Blu-ray DiscはMacで見たのでは無くてPlaysation3で見たのでした。うーん物忘れがひどくなっていますねぇ。
それで本題の「秒速5cm」っていいですねぇ。この作品を見る度に、心の中で両手を上げて「もう降参。」と呟いています。
2009年11月3日火曜日
釣果記録2009-11-03
大潮 干潮04:40, 満潮11:25
場所 王子が岳の砂浜(岡山県倉敷市)
時間 05:00 -- 09:00
まだ暗いうちに釣り場に着いたものの、国民宿舎前の石垣波止にはすでに人がいました。それで国民宿舎前から少し東の方に場所を構えました。
まず、電気ウキ仕掛けのメバル用の棹で沖の方を流してみます。潮はほぼ干潮に近い状態だったので、20m沖くらいまでは、仕掛けがすぐに海藻に引っかかります。エサ取りがいればすぐにかかるだろうと予想していましたが、30分流してもウキに変化はありません。
これはエサ取りが少ないのだろうと喜んでいたのですが、、、。棹立てを忘れていたので、近くの岩に棹を立て掛けて青虫と岩虫を餌にして遠投と近投と投げ分けました。しばらくして棹先に短い振動が伝わって来たのだけれど、カレイにしては変。上げてみるとチャリコだった。うーん、これがまだいたのか、、、。とすると大量のエサ取りがいるはず。
さらに、隣の人がやって来て話をしていたら、アナゴが釣れましたとの事。うーん、アナゴがいるとは、まだ海は暖かかかったようです。カレイ釣りのシーズン始めとは謂え、これでは大量のエサ取りのため、投げた餌は一分間もすると食い尽くされてしまいます。
その悪い予想通り、あっという間に餌がなくなります。今日はエサ撒きにやって来たようなものです。せめてエサ持ちの良いコウジでも用意しておけばよかった。
投げやり気味になって藻場の十メートル程沖に投げた棹をあおっていたら、根掛かりかと思うような重さが、、、。上がって来たのがこれです。
マコガレイちょうど40cmでした。
2009年10月29日木曜日
釣果記録2009-10-29
2009年10月23日金曜日
釣果記録2009-10-22
2009年10月19日月曜日
悪運
2009年10月18日日曜日
釣果記録2009-10-18
2009年10月16日金曜日
釣果記録2009-10-15
2009年10月12日月曜日
ドーナツ
2009年10月4日日曜日
釣果記録2009-10-04
2009年10月3日土曜日
釣果記録2009-09-27
でもその認識は間違いだったようです。南へ行くというよりは西に向かっていると考えた方がよかったようです。しまなみ海道へ入ってから1時間以上かかってやっと大島の友浦港へ到着しました。出発地点から130km程の距離がありました。
到着してみれば、すごい風です。
とはいえ、せっかく来たのですから、ちょっと竿だししてみたい。それで北波止の方に行ってみました。波止先端には一人、先行者が、、、。ジグを投げたり、サビキをしてみたり、餌木をしゃくってみたり、しましたけれど、反応無し。
やはり初めての場所は、勝手が分からないのでどうも苦手ですね。早々に退散しました。距離から考えると山陰釣行とあまり変わりませんし、高速料金1000円だとすると、山陰へ行く場合の二倍の高速料金が必要になるので、うーん。
より大きな地図で 友浦港 を表示
2009年9月25日金曜日
釣果記録2009-09-24
2009年9月23日水曜日
釣果記録2009-09-23
2009年9月21日月曜日
釣果記録2009-09-21
中潮 干潮: 06:14
場所 下津井の県漁連裏の波止、与島フィッシャーマンズ・ワーフの波止
時間 02:00 -- 06:00
今日は、大きなイカがいないだろうかと、昨夜に引き続いて下津井の波止に出かけてみました。でも昨夜以上に渋かった。コロッケサイズのアオリイカが2匹だけでした。夜空けが近づくとともに風が強くなり、寒くなってきたので帰り仕度をして帰ってましたら、ふと、瀬戸内海の沖の与島まで行けば大きなイカがいるかもしらんと思いついて、行ってみました。
今年は、与島フィッシャーマンズ・ワーフの波止の灯りが点いていました。それに来てみると、波止のあちこちにイカスミの跡が、、、。
でも、沖の方はさらに風が強かったし潮は激流でした。しばらく頑張ってみましたがけれど、諦めました。
2009年9月20日日曜日
釣果記録2009-09-20
2009年9月13日日曜日
釣果記録2009-09-13
長潮 満潮 07:25
場所 境港の「夢みなと公園」
時間 03:00 -- 08:00
先週の雪辱戦をせんとて、メタルジグをしっかりと準備して出かけました。
新しいPEライン0.8号と30gのメタルジグは軽く50m以上飛びました。
でも、肝心のアタリがさっぱりありません。この日はメタルジグはさっぱり駄目で。バイブレーションのみにサゴシが少しばかりのヒットをしていただけでした。
準備していたメタルジグには小さなカマスがットしただけでした。
仕方がありませんので、サビキでアジを釣っていました。
すると突然、隣の同行者のサビキ竿に大きなアタリが、、、。
上がってきたのは頭部から背中にかけて緑色の奇麗なブリの子でした。
その後すぐに、またしても隣の同行者のサビキに大きなアタリが、、、。
上がってきたのは、ヒラメでした。
さらに、それよりももっと大きなアタリが、、、。羨ましい、、、。
でも、これはラインを切られました。
その後、ミニセイゴを加えて、五目釣り達成。
残念ながら、個人的にはちっとも雪辱戦になりませんでした。
2009年9月7日月曜日
ARDENT SUITOR
その主人公の名前がウォーターと言うのでした。
ウォーターという若者が、彼女の父親に会って、結婚の許可を取り付けようとする涙ぐましい奮闘話なのです。
ウォーター(水)は英語で聞くとウァラー(藁)とか、ウォルターと聴こえたりするのですよね。
このあたりもボケネタに使われています。
この本、ネットで調べてみたら、どうも絶版になっているようですねぇ。
サー・ウォルター・スコットのアイバンホー
該当部分を日本語に翻訳してみました。
そんな場所がこの物語の主要な舞台であり、時代はリチャード一世(一一八九〜一一九九)の晩年にかけての頃である。当時、リチャード一世は捕らわれの身から無事にイングランドに帰還し(訳注:十字軍の遠征からの帰途、フランスで捉えられていた)、王の帰還を期待するというよりも熱望していた熱狂的な支持者達にとっては大変な出来事だったが、その彼等もやがてあらゆる種類の従属の抑圧に苦しめられる亊になるのだが。貴族達の権力はステファン(一一三五〜一一五四)の治世の間に法外なものとなっており、英明な王であったヘンリー二世(一一五四〜一一八九)は彼等の力を何とかそぎ落として、多少とも王に従うようにしたのだが、今や貴族達は旧来からの自分たちの権利を最大限に復活させ、弱体なイングランド王権を侮り、自分たちの城を強固にし、家来達の数を増やし、周囲の人間を隷属民の地位におとしめ、動乱の時代は近いという空気の中で、あらゆる手段を使って事あるごとに、自分が数ある中でも強者だと見せつけようとしたのだ。
下級地主の亊をフランクリン(小地主)と呼ぶが、彼等の状況は、イングランドの法律の建前上は封建領主から独立した地位を与えられているはずだったのだが、今や非常に不安定なものになっていた。多くの場合はそうだったのだが、もしも彼等が近隣の王を気取る領主の庇護下に入って、同盟と庇護という相互協定により、つまり自分の全てを主人のために捧げる亊により、自ら封建的な編み目の中に組み込まれるのを良しとすれば、一時の平和を手にする亊ができたかもしれぬ。しかしそれは、あらゆるイングランド人が尊重した独立の気風を犠牲にしなければならず、彼等の庇護者の野望、つまり無謀な遠征の一隊に徴用される危険に巻き込まれる恐れがあったのだ。
2009年9月6日日曜日
釣果記録2009-09-06
2009年7月25日土曜日
わたしが子どもだったころ (4.1)
2009年7月19日日曜日
釣果記録2009-07-19
2009年7月5日日曜日
釣果記録2009-07-05
2009年7月3日金曜日
釣果記録2009-07-03
2009年6月22日月曜日
釣果記録2009-06-21
大潮 干潮04:05, 満潮08:48
場所 牛窓海水浴場波止
時間 04:00 -- 08:30
午前5時、流れが左から右へ激流の頃、20cm 程のアオリイカを釣るも、波止前の捨て石の岩の間に挟んでしまい、あれこれしている内にラインブレーク。イカさんは岩の間に消えてゆきました。今年最初のバラシはアオリイカだった、、、。でも、あの引き味を味わえたのだからヨシとする。
波止と下の岩場を行き交っている内に膝と肘は擦り傷と打ち身だらけに、両の二の腕は筋肉痛が、、、。年齢を感じてしまう、、、。
2009年6月20日土曜日
わたしが子どもだったころ (8)
その年の秋、わたしは柿の木に登って枝を揺らしてはしゃいでいた。その木は近所の家の裏畑に生えていたものだった。その歓声を聞きつけたのだろう、ばーさんが家の裏口に顔をのぞかせた。
その時、私の登っていた柿の木が根元からポッキリと折れてしまった。私は倒れてゆく木といっしょに畑に叩き付けられた。幸い畑の土が柔らかかったのと、低木だったため傷があちこちに出来たものの、ひどい怪我には至らなかった。さて、これを見ていた主のばーさんがどうしたか。
「そこで待っとけ。」と言うなり、家の中に姿を消し、しばらくして縄を持って戻ってきた。「この悪たれぼーずめ。」と言いながら、私の襟首をつかむと、近くにあった納屋の方へ私を連れてゆき、手に持った縄で私を柱にぐるぐる巻きにして縛り付けてしまった。
それから夕方になるまでの何時間か泣けど叫べど誰も助けは現れなかった。夕方になってばーさんが私の家の方へ連絡したのだろう、母親が詫び言を述べにやって来てくれて一件は落着した。
今でも、まあ適切な処分だろうと思うのだが、、、。
釣果記録2009-06-20
6月18日 木曜日
若潮 干潮12:59, 満潮18:59
場所 田井新港
時間 16:00 -- 19:00
波止に人が多かったので、岸壁でエギングを。
結果、ボーズ。
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6月20日 土曜日
中潮 干潮03:06. 満潮08:01
場所 牛窓海水浴場波止
時間 04:00 -- 05:30
人多し。途中から南東の強風が吹く。
波止中ほどで5-6人の釣り集団の帰った後はゴミだらけ。
これほどひどい汚し方も珍しい。
エギングでボーズ。
気に入りのエギを2個失う、、、。
2009年6月14日日曜日
釣果記録2009-06-14
6月13日 土曜日
中潮 満潮02:27, 干潮08:49
場所 牛窓海水浴場の波止
時間 04:00 -- 06:00
まだ朝の暗いうちから大勢の人出。
頑張ってみたけれど、ボーズでした。
周りも釣れていなかった。
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6月14日 日曜日
小潮 満潮03:04, 干潮 09:33
場所 牛窓海水浴場の波止
時間 04:00 -- 08:30
悔しいので雪辱戦を。でもなかなか釣れません。周囲の人も釣れません。
7:00頃に隣の人がモンゴウイカを釣り上げました。
餌木をいろいろと変えて粘っているとやっと7:30頃にモンゴウイカを連続2匹釣り上げました。胴長29cmと26cmのモンゴウでした。
ここのモンゴウイカはスレているのかもしれないが、どうもヒット餌木があるようだね。
それにしてもアオリイカはどこにいったのでしょうかね。今年はさっぱり姿を見かけません。
2009年6月12日金曜日
わたしが子どもだったころ(7)
私が五歳の頃、当時の田舎としては珍しく、近所のおじさんがオート三輪を手に入れた。
その頃は、田舎で自動車を見かける事は稀で、信号機に至っては岡山県内に1ヶ所だけあったという噂だった。
ある雨上がりの日だった。
おじさんが車に乗ってみるかと言うので、物珍しらしさもあったのか、私は車に乗せてもらう事になった。
そのオート三輪はハンドルは文字通りの棒ハンドルで、現在ではなじみの丸ハンドルでは無かった。
座席は大人二-三人が座れるように出来ていたけれど、もちろんシートベルトなどという物は無かった。
しかし、変わっていたのはそれだけでは無かった。
何よりも変わっていた事は助手席側の車のドアが無かったのだ。
そして助手席側の足下の床に直径50cm程の大穴が開いていて下の道路が丸見えだったのだ。
さて、こういう状態で雨上がりの田舎道をドライブが始まった。
私はすぐに恐怖に体がひきつった。
道路の水溜まりを避けようと運転手が車のハンドルを左右へきる毎に私の体は車外に放り出されそうになった。
なにしろ何も掴む物が無いので、座席に両手をついて踏ん張るしか無かっのだ。
足を床について踏ん張ろうにも、足は床に届かなかったし、仮に届いたにしても床には大きな穴があったので、踏ん張る事はできなかったのだ。
そして運悪く車の前輪が道路の水溜まりを踏みつけると、床の大穴から大量の水しぶきが助手席の私の足を襲った。
ほんの5分間か10分間のドライブだったのだが、車の怖さが身にしみた出来事だった。
その3年後、小学校の同級生が原付自動二輪のカブを運転して得意そうな顔をしているのを見かけても羨ましいなどとは思わなかった。
2009年6月11日木曜日
釣果記録2009-06-11
2009年6月8日月曜日
釣果記録(貧乏神記録)2009-06-07
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6月7日 日曜日
大潮 干潮05:16, 満潮10:01
場所 下津井のどこか
時間 05:00 -- 07:00
午前4時。
いつもなら滅多に引っかかる事の無い信号機。
連続して六回ひっっかかる。
やっと信号機の少ない道にはいったら、ノロノロ運転の車が一台。
貧乏神がやって来たようだ。
午前5時前、いつもは空いている釣り場は何故か見たことも無い程の人で溢れていた。
仕方が無いので、何となく歩いていたら、来たことの無い場所にゆきついた。
ただ、やっぱり人は少ないながら先行者はいた。
元気を入れてエギを投げること三回、PEラインがかなり手前で
あっさりと切れてしまった。手前に鋭い根があったようだ。
場所を少し移動。気分を変えてエギ投入。五投目で根がかり。エギをロスト。
さらに粘るも、さらにエギをもう一つロスト。
予定の行事の時間もあったので、ボーズで撤収。
行事開始早々、会場に予定を知らせていないと、怒りのお断り。
あえなく行事も沈没。
年をとると不幸は一度にやって来る。
2009年6月4日木曜日
釣果記録2009-06-04
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6月3日 水曜日
若潮 干潮14:07, 満潮20:48
場所 大室港 北波止
時間 20:00 -- 23:00
シラサエビにてメバル釣り。
小さなメバルばかりで17cmのメバル2匹と
20cmのカサゴ2匹以外はリリース。
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6月4日 木曜日
中潮 干潮14:52, 満潮 21:43
場所 牛窓海水浴場の波止
時間 16:00 -- 17:00
海に着いたら、風が強く、波が捨て石に当たって濁りだらけ。
こんな状態じゃ釣れる訳ないと思いながら餌木をしゃくるも
やっぱり駄目でした。
2009年6月2日火曜日
わたしが子どもだったころ (6)
戦車がやって来たかどうかはっきりとした記憶が無いのが残念。
でも、兵員輸送車とともに網に草を載せ迷彩を施された大砲が何門もやってきた。
大砲は30度程の角度で空を睨みながら、一斉に何度も轟音を放った。
もちろん空砲だったが、20メートル程度しか離れていない場所で聞く大砲発射時の地面をゆるがす轟音は、子供心を震わせる迫力があった。
それ以外にも何かのデモンストレーションがあったのだろうが、はっきりとした記憶が無い。
演習終了後、80メートルほどの川幅に一時間もかけずに橋をかけ、そこを大砲やら自動車が続々渡河した後、あっという間に橋が消えてしまったのにも驚いた。
あんなすごい音のする兵器を使って戦争をしていたなんて、怖いなぁ、と思うと同時に、いつの間にやら、戦闘機や戦車といったプラモデル作りに夢中になるようになってしまった。
2009年5月31日日曜日
釣果記録2009-05-31
5月31日 日曜日
小潮 満潮04:42,干潮11:17
場所 大室港 北波止
時間 05:00 -- 09:00
小潮にもかかわらず潮位が高かったせいか (235) 、潮が川のように流れる。
エギンクにてシリヤケイカ2匹。
2009年5月29日金曜日
釣果記録2009-05-28
5月28日 木曜日
中潮 満潮12:05, 干潮19:41
場所 牛窓海水浴場の波止
時間 15:00 -- 16:30
小雨の中を出撃。海に到着する頃、大雨になる。
悔しいので傘をさしてエギング。
でもやっぱりボーズでした。
波止にはあまりスミは無かった。
2009年5月28日木曜日
岡山 備中 稲荷山ケーブルカー (Mt. Inariyama cable car in Okayama)
Because of a lack of iron and steel for making combat machines during WWII, military authorities commanded compulsory delivery of iron to the goverment. This is why many cable cars at that time had been abandoned.
石清水八幡宮にある男山ケーブルカーなども同じように第二次大戦中に廃止されましたが、八幡では戦後ケーブルカーが復活しました。
しかし、岡山では戦後ケーブルカーが復活する事はありませんでした。
やっはり山上に神社や寺の本殿が無い事には無理も無い事かもしれません。下の写真で奥の方に幾つかの溜め池がありますが、その池の間を右から中央に伸びてきて一番手前の池の下で止まっている線路は、中国鉄道稲荷山線です。その路線は備中高松駅から稲荷駅までを結んでいましたが、1944年に廃止されました。
An old map (1924) shows railways that lead to the shrine, Saijyou-Inari. The cable car connected mountain-foot Saijyou-Inari station to mountain-top Okuno-In station, and had not been constructed yet in 1924.
下の地図は大正13年頃の吉備線を示しています。高松駅から稲荷山駅まで中国鉄道稲荷山線が延びています。
ケーブルの山下駅が手前に写っている絵葉書がありましたのでそれを追加してみました。
2009年5月26日火曜日
わたしが子どもだったころ(5)
それは近所に飼われていた白い猫だった。
ある日、道端でその猫とバッタリ出くわした。その瞬間、猫と目が合った。猫は威嚇の唸り声を上げた。私は怖くなって道の端に避けた。すると猫は満足そうに道をゆっくりと通り過ぎていった。そんな事が三回くらい繰り返されただろうか。わたしはすっかり猫恐怖症になっていたし、猫おろか人に対しても目を見るという事に恐怖を感じるようになっていた。
そんなある日、一方が50センチメートルくらいの高さの切り通しになっている細い道で猫と出くわした。猫を避けるのは無理と判断した私は逃げようとした。その瞬間、猫が襲いかかってきた。猫がいわゆる三角飛びをするのを見たのはそれが最初だった。猫は走りざまに切り通しの崖にジャンプし、そこからさらに私の首めがけてジャンプした。逃げようと体を動かしていた私は辛くも猫の攻撃から首を守った。攻撃の的が外れた猫は私の胸の辺りにぶつかった。それ以後の記憶は無い。
それから何故かその猫を遠くに見る事はあってもいきなり道端で出くわす事は無くなった。
後年、テレビの中の近衛十四郎演じる素浪人月影兵庫は猫が苦手で猫を見ると逃げていた。私は内心、やっぱり仲間がいたんだと思ってひどく安心した覚えがある。
2009年5月25日月曜日
比叡山鉄道坂本ケーブル
ただ、山下駅の坂本ケーブル駅の近くに駐車場がありません。実際に出かけてみると、ちょっと離れた場所に観光駐車場がありました。駐車場からケーブル坂本駅まで徒歩で15分程度です。
2009年5月24日日曜日
釣果記録2009-05-24
5月24日 日曜日
大潮 満潮 09:59, 干潮 05:05
場所 大室港の北波止
時間 05:00 -- 09:30
大雨の中を出撃。海に到着する頃に雨があがる。
エギングにてシリヤケイカ1匹とコウイカ2匹。
エギは2.5号と3.0号、色はオレンジ。大潮なので潮が川のように流れる。流れの速さにより、先錘式の仕掛けにして、錘を3号、5号、7号と交換する。
一番大きなコウイカは胴長19cm。
ママカリとカタクチイワシが釣れ始めた。
2009年5月12日火曜日
1982年の秋
WEC-JAPANは1982年から開催とありますから、私がWEC-JAPANへ出かけたのは1982年の事になります。秋の夕方近く、新幹線の三島駅で降りて、タクシーを拾って仙石原のホテルまで。そこで松田コレクション主催のパーティがありました。ポルシェ社から水平対向16気筒エンジンの試作品が松田コレクションへプレゼントされていましたけれど、会場の中にジャッキー・イクスとヨッヘン・マスがいた事に驚きました。目の前を横切るイクスに何とか握手をと思ったのですが、気恥ずかしくて出来なかった。
その日、ポルシェ博物館も見学しました。多くの車が展示されていたので各車の印象は薄いのですが、モンスターマシンの917Kが意外に小さかったのには驚いた記憶があります。
翌日はWEC-JAPAN。ポルシェワークスチームの近くに設けられたダブルデッカー・バスが見学場所でした。パドック・パスをもらって、ポルシェワークスの傍から作業を眺めていました。ほんの10m程離れた場所をCカーが時速300kmで通過してゆく迫力と爆音には圧倒されました。あの時のCカーはロスマンズ・カラーのポルシェ956でした。車体は思ったよりも小さかったです。
夕方が近づくと帰り道が混雑するだろうと、午後3時にはサーキットを離れました。岡山までの帰り道、カレラRS2.7に乗せていただき、途中で運転までもさせていただきました。あの車のブレーキには驚いたなぁ。
それつけても、あの仙石原のポルシェ博物館は無くなっていたんですねぇ、、、。
2009年5月10日日曜日
備前岡山の吉井川にある倉安川水門 (The lock of Kurayasu canal)
倉安川水門は吉井川(岡山県の東を流れる)に築かれた石積み堰とセットで江戸時代に作られたのだそうです。石積み堰は水門から南東の方角に見えます。
これは旧道、つまり外側の水門の上の道から内側の水門を写したものです。昔ながらの風情が楽しめます。倉安川が出来た頃、池田の殿様が川船で吉井川から旭川まで船旅をしたそうな。江戸時代の山陽道の吉井川橋はちょうどこの付近に架けられていたはずですので、旅行く人の目をなぐさめた事でしょう。Standing on the first lock and viewing Yoshii river. We cannot see water outside the first lock because a road was constructed recently, which inhibits river water to be in touch with the lock anymore.
これは上と同じ地点から、水門外側に新しく建設された道路を写したものです。水門の外側が道路によってきれいに吉井川と隔てられています。
釣果記録2009-5-10
2009年5月9日土曜日
釣り記録2009-5-7
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5月7日木曜日
中潮 満潮09:37, 22:37
場所 大室港の北波止の先
時間15時頃。
到着して3投目でいきなり雨が、、、。
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5月8日金曜日
大潮 満潮10:04, 23:16
場所 大室港の北波止の根元
時間20:30 --- 24:00迄。
電気ウキを使ってメバルの餌釣り。最初の1時間はアタリが無かったけれど、やがてポツリポツリと釣れてきた。16cmばかりの長さのタケノコメバルを3匹と、17cmのカサゴ1匹をキープして、それ以下のメバル10匹ばかりリリース。
途中でエビ形のプラグを使ってみたけれど、3投目に「ブチッ」という音とともにプラグをロスト。
2009年5月5日火曜日
釣り記録2009-5-3
5月3日日曜日
小潮 満潮 6:26, 18:35
場所 田井新港の西波止
5:00 - 8:00迄。
ボーズでは無かったけれど、鯛ラバージグ炎月15gにて25cm程のグチ1匹のみ。リリース。イカは見えず。
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5月4日月曜日
長潮 満潮 7:28, 19:58
場所 大室港の北波止
ほぼ満潮の7時半頃から向かい潮になり立て続けにシリヤケイカが五匹。餌木はゴールド地にオレンジの2.5号。久しぶりにラインのキュインと鳴る音が気持ちよかった。
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5月5日火曜日
若潮 満潮 8:21, 21:02
場所 牛窓海水浴場の西波止
5:00 - 8:00迄。
25cm程のナマコ1匹。イカの姿は見えず。
2009年4月14日火曜日
校舎の歴史
江西学校は江西尋常小学校を南の方から見たものでしょうか。
左上の写真は一寸見当がつかないけれど、研正実科女学校で調べてみました。
明治二十八年創立。岡山市谷尻土橋にあり。別名、土橋女学校。花嫁修業のための学校だった。第二次大戦の激化とともに閉校になる。
さて、丸い縁の写真に焦点を絞ります。左に少し欠けて写っている塀のある建物は警察署官舎の一部で、やや東側から取られた写真です。右側が瀬戸女学校の建物で、明治の末に立てられたもの。そしてこの写真が作られた時代は大正の1-9年頃。この写真の後、生徒数が増えたのでしょう、大正10年頃に、この校舎の奥に大きな校舎が新築されています。
この校舎がどういう風になるのか調べてみました。窓の配置からして二教室。昭和3年に50メートル西へ移動。戦争中には他の教室は勤労奉仕で工場に変わっていたけれど、この建物はトイレに変わる。戦後、再び講堂として利用。昭和41年頃に解体。つごう60年近く働き続けた事になるなぁ。
2009年4月10日金曜日
備中造山古墳
Tsukuriyama kofun(Tsukuriyama burial mound)
Blooming cherry blossoms on the mound.
中高校時代、あちこちの古墳に行ってみたものです。そこで分かった事は古墳に行くなら春先の季節がいいという事でした。冬では寒いし、夏では蛇が怖い。秋でもいいのですが、古墳には桜が植えられている事が多いので花を楽しめるのです。備前浦間茶臼山古墳や吉備津神社裏の中山茶臼山古墳などですが、造山古墳にも桜がありました。
A guide map of Soja district.
同名の作山古墳(つくりやまこふん)が西の方にあります。今回は行きませんでした。案内板に従って東に向かいます。
The parking area is only 50 meters away to the east of the mound.
りっぱな駐車場がありました。
Going up the stone steps.
駐車場を下りて前方部の方へ続く石段を上ります。
A stone coffin on top of the square mound.
前方部には神社があり、石棺が置かれていました。案内板を見ると阿蘇の凝灰岩製だとか。どうやら「こうもり塚古墳」の石棺と勘違いしたまま記憶していたようですね。
Standing on the square mound and looking at the path leading to the round mound.
前方部から後円部を見ると、前方部に続く道が見えました。
これは案内板にある古墳の地形図です。古墳が大きすぎるので、なかなか全貌を1枚の写真に収める事ができませんでした。