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2014年12月24日水曜日

パーコンの故障

半年程前に自作パーコンが壊れました。Core-i7 920, GA-EX58-UD5 マザーボードで、5年程前に組み上げたものです。最初はビデオカード( GTX-480 )の不調でした。ビデオカードのファンの回転音が頻々と異様に激しくなるようになりました。ある日 GTX-480 は動作しなくなってしまったため別のビデオカードに交換しました。すると BIOS 起動時に HDD が接続されていないというメッセージが表示されるようになりました。実際 SATA 接続していた複数の HDD は認識されなくなりました。でも1台だけは不思議にも Windows 7 を立ち上げる事ができたのです。

そのまま3ヶ月ほど経過したある日、そのパーコンを shutdown しすると何だか物の焦げたように臭いがしました。翌日いくら起動ボタンを押してもウントモスンとも云わなくなってました。どうやらマザーボードが死んだようです。ビデオカードの不調を放置していたためにマザーボードの故障を招いてしまったと深く反省する結果になりました。

その後1ヶ月して、今度は別のパーコンが壊れました。 Core-i7 2600K, GA-Z68X-UD3-B3 マザーボードで、4年程前に組み上げたものです。これは起動ボタンを押しても、一瞬だけファンが回転するものの、すぐに動作を停止してしまいます。電源の故障じゃないのかな?と考えて、先に壊れていたパーコンから電源を取り出して交換してみる事にしました。取り出した電源ボックスを開けてみると、中に大量のワタ屑のような埃が詰まっていました。これを綺麗に取り除き Core-i7 2600K マシンの電源と交換しましたところ、無事に起動ボタンに反応して動作を開始するようになりました。

それほど酷使したわけでもないのに4年程で壊れる電源ってどうなってるんでしょう?

今年は本当にいろんな物が壊れて交換が必要になりました。

2014年12月22日月曜日

NaviStudio5

今春まで使っていたカーナビはトヨタ営業所純正ではありながら京阪神方面で、途中で案内を放棄し無言になってしまう事がしばしばありました。また、購入時点からタッチパネルの一部は反応しにくかったんですが、昨秋の点検時にタッチパネルが壊れてますよと云われて、さすがに目が覚めました。メーカー品カーナビにはアンタッチャブルだと。

近所のカーショップで幾つかの条件をテストした製品を探してみました。

(1) 出雲大社まで道案内できる事。これ、やってくれなかったんですよね。
(2) 二階建ての道路で、どの階を走行しているのか認識できる事。
(3) 高速道路に入るインターチェンジを指定できる事。

(3)は目の前にある阪神高速に入りたいのに、中国自動車道へと案内されるというひどい目に遭った経験からです。この条件で満足できるカーナビに付け替えて、古いカーナビは一応たたき壊して下さいとお願いしておきました。

この新しいパイオニアのカーナビ、向こう3年間無料で道路情報の更新データをサーバーマシンからWindowsマシンに接続した 'SD Card' にダウンロードして、カーナビのデータを最新に保てるんです。これまでに数回小規模のアップデータが公開された事がありましたけれど、無事にデータ更新を済ませる事ができました。そして、ついに最初のメージャーアップデートがありました。データ量は8GBほど。それまでと同様の手段でダウンロードしたデータを 'SD Card' に書き込んで行くんですが40%を越えたあたりで必ずエラー発生によりデータを 'SD Card' に書き込み失敗します。

こういう場合は、元データが悪いか 'SD Card' が悪いかに決まってます。でも元データは公開されてから既に1ヶ月以上経過しており、データに問題があれば、すぐに訂正されたはずです。そこで 'SD Card' を交換したり、新品にしたり。でもエラーは続きます。1回のデータダウンロードで、それが失敗したと判明するまでに1時間ほどかかりましたので、20回の失敗で20時間ほど無駄な時間を過ごしました。

ここまでで、ははん、と見当のついた人は偉い!

ふと思いついて 'SD Card Reader' を古い物に交換してみました。これで、エラーは出なくなりました。

この粗悪品の名称は ELECOM MR-A39HWHF1 made in China でした。もっときちんと壊れてくれれば苦労しなくて済んだのに、、、。

2014年12月6日土曜日

戦火の馬

「戦火の馬」という第一次世界大戦を舞台にした映画を観ました。最後の方は時間が無かったのか、それとも物語が尽きたのか、省略があったせいで嘘っぽくなってしまい興醒めする場面もありました。とはいえ馬が重要な戦略品だったのは間違いなかったのです。

政治家達は戦争への危惧に心を奪われ、一方で戦争参加国の首都では一般大衆が宣戦布告を熱狂的に歓迎した。通りを埋め尽くした群衆は叫び、微笑み、そして愛国歌を歌った。セント・ペテルスブルグではフランスの外交官モーリス・パレオローグが冬の宮殿広場への道すがら次のような光景を目撃した。「旗や吹き流しやロシア皇帝のイコンや肖像画を手にした無数の群衆が、ロシア皇帝がバルコニーに登場するや、すぐに全員が膝をついてロシア国歌を歌った。この時、膝をついた数千人の群衆にとって、ロシア皇帝こそ、軍事的・政治的・宗教的な意味で人々の指導者であり、肉体と魂の絶対的支配者、神に指名された真の独裁者だった。」その日は8月2日だった。8月1日にもババリア王国の首都、ミュンヘンのオデオンズプラッツに群衆が集まり、宣戦布告を聞こうとした。その中に若き日のアドルフ・ヒットラーがいた。彼は「その瞬間の熱狂にうち奮えている自分が誇らしかった。それから私は膝をついて、このような時代に自分を生まれさせてくれた神に心よりの感謝を捧げたのだ。」その頃、ベルリンでは、灰色の戦闘服に身を包んだカイザーがバルコニーに現れ、騒然とした群衆に向かって次のように言った。「ドイツに運命の時が訪れたのだ。我が国を狙う国々からドイツ防衛のため我々は立ち上がるのだ。戦いの剣は我々の手に委ねられた。皆に命ずる。教会へ行き、我が軍に神のご加護を祈るのだ。」ベルリン大聖堂では牧師が礼拝に集まった人々に詩編130番の朗唱を主導し、オラニエン通りのシナゴーグではラビが勝利の祈りを主導した。8月5日にはロンドンでも同じような状況が発生した。パリでは東部と北部へ動員される連隊の出発式があった。歩兵連隊の将校は次のように記している。

「午前6時、列車は汽笛を鳴らす事なくゆっくりと駅を出発した。くすぶっている火が突如うなりを上げて火炎を発したかのような壮大などよめきが、幾多の人々の口々からフランス国歌のラ・マルセイエーズの轟が巻き起こった。兵士達は全員が汽車の窓際に立ち帽子を振った。それに応えて線路上から、駅のプラットフォームから、隣の汽車の窓から皆々が手を振った。集まった群衆は全ての駅、柵の向こう側、道路に沿った家々の窓に立っていた。”フランス万歳。軍人さん万歳。”と叫ぶ声が至る所で聞こえ、人々はハンカチや帽子を振っていた。女性達は道行く私達の隊列にキスや花を投げかけてくれた。若者達は”さようなら!またね!”と叫んでいた。」

すぐに多くの若者達に召集令状が届けられた。そのような令状には無縁の予備役兵にも動員命令が出された。大抵の軍隊では出頭予定日までの幾日間は家族や雇い主に別れを告げる「自由日」となっていた。フランスの偉大なる歴史家、リチャード・コッブは次のように書いている。「完璧な異邦人だったんじゃないかな。というのも、パリっ子が全員一夜にして不思議の国のアリスの中の登場人物みたいになっちまってね。異次元のカレンダーの中で日々をトランプに明け暮れていたのさ。”今日は何の日だい?”すると別の奴が”俺は一日目さ(新兵狩りに遭っちゃったみたいさ)。”、”俺は九日目さ(不運だぜ、そん時までにゃ、全てが終わっちまってるだろうから、お前さんにゃ何の楽しみも残らないって寸法さ)。”、”俺は三日目さ。だからあまり長く待たなくてもいいのさ。”、”俺は十一日目さ(お前さんは、そんなに早くベルリンを落せやしまい)。” ドイツ軍の予備役士官候補生は、どのようにして入隊までの日々を過ごすのかを、もっと散文的に説明している。その人物はアントワープ在住のビジネスマンで、彼が動員二日目に最寄りの野戦砲兵連隊に出頭し上申しなければならない内容とは次のようなものでした。

八月三日に自分がブレーメンに到着した時、家族は半狂乱でした。それは彼らがベルギーが陥落し私が銃弾に倒れたものと思っていたからでした。八月四日、予備役兵として軍に出頭した時、自分は予備の野砲第18連隊に所属しているのだと告げられました。その連隊はハンブルグから約75マイルの距離にあるベーレンフェルドにありました。家族は自分達の集合場所の建物に近寄る事はできませんでした。自分はできるだけ素早く、近くの子供に家族への伝言を託しました。家族は列車の駅のプラットホームにも立ち入る事が出来ませんでした。ただ、自分達に葉巻や煙草やキャンディーを手渡す赤十字の職員を除いては。兵員輸送列車の中でボートやテニスを一緒にやった友人達と再会する事が出来て幸運でした。八月六日、自分が今まで着た事のない灰色の制服が支給されました。その色は緑色を帯びた灰色で、くすんだ色のボタンが付けられていました。ヘルメットには灰色の布が被せられていました。それはヘルメットの上にある飾りが太陽の光を反射させないようにするための処置でした。長い騎乗靴は茶色で大変に重いものでした。兵士は全員、大抵の将校も予備役でしたが、司令官は正規の将校でした。たたき上げ将校は全員正規兵でしたが、兵馬は予備役でした。馬主は、狩猟家やサラリーマンや農民でしたが、彼らは定期的にそれを報告する義務があり、軍はいつでも、どこにどんな馬がいるのかを把握していたのです。

人間と同様に馬も八月の最初の一週間でヨーロッパ中から何十万頭という数がかき集められていました。小規模とされる英国の陸軍ですら、騎兵用、野砲の牽引馬、あるいは兵員輸送用の荷馬車のために165,000頭の馬が集められたのです。オーストリア軍は600,000頭、ドイツ軍は715,000頭、ロシア軍に至っては24の騎兵師団に100万頭を超える馬が集められたのです。1914年当時の軍隊というものは、ナポレオンの頃と同程度に兵馬を必要としていたのです。担当将校達は馬と兵士の必要割合を兵士3人に対して馬1頭程度と算出していました。第12ブランデンブルグ近衛連隊の予備役将校だったウォルター・ブルームはシュッツガルトへの動員命令を受け取ると、フランス国境のメッツ行きの汽車で荷物を発送する前に「トランクと茶色の雑嚢と馬具類の入った2個の箱に”軍需用荷物・速達”と書かれた赤いラベルを貼付け」て彼の所有する2頭の馬用に出来る限りの荷物を鞄に詰め込んだのです。

列車は1914年に戦争に行った全ての人々の記憶に刻まれているものでした。ドイツ参謀本部の鉄道部門は動員令の頃には11,000台の列車の時刻表を作成し、8月2日から18日の間だけでもライン川に架かるホーエンゾレルン橋を最低でも54両編成の貨車2,150台が通過しました。フランスの主要な鉄道会社、Nord, Est, Quest, PLM, POMは1912年5月以後、兵員動員のために7,000両の列車を用意する計画がありました。戦争開始に向けて多くの物が列車で集められたのです。

ムランからパリに入ってきた旅行者は、動力部を外され空になって動かない列車の異様な光景に目を奪われたものだ。時としてそれは様々な貨車を連結したものだったりしたのだが、別の会社の貨車が連結されていたりしており、旅客用貨車は護衛用貨車に連結され、それら多くの貨車に横にはチョークで印が描かれていたが、その全旅程セーヌ川からマルヌ川の県庁所在地を経て列車がリヨン駅に近づくまで、ひたすら我慢しなければならなかった。同じように奇妙な光景はフランス北部の旅行者達に目撃されている。それはクレール駅にある無数の側線に煙を上げる事も無く停車させられた何百ともつかぬ機関車の姿だった。

そのような列車が長く放置されているわけがありませんでした。すぐに列車は動きだして何十万人もの若者を詰め込み、時速10から20マイルで走行し退屈な距離を進んだかと思えば不意に停車し、最前線の少し後方まで彼らを運んだのです。久しい以前から準備されていたもののようで、前線の眠ったような村々の駅にしてはそのプラットフォームの長さが1kmほどもあり、平和な時代の人々の流れを考えても、とてもその長大さを説明できるものではなかった。

いよいよ戦火の火ぶたが切られ、騎馬兵が最新兵器の機関銃の前で次々と倒されてゆくと、彼らは戦争の主役から消えてしまいました。替わって登場したのは大砲と塹壕でした。

2014年12月5日金曜日

Old iPhone 4S

3年間使っていたスーマートフォン 'au iPhone4S' を下取りに出して 'au iPhone 6+' に機種変更しようと予定していたんだけど、auに予約して2ヶ月経過しても製品入荷がありません。しびれが切れたのでアップルストアに 'SIM Free iPhone6+' を発注したら1週間で製品が届けられました。この'iPhone6+'を持ってauで契約する予定だったんだけれど、音声通話はほとんどしないしWiFiばかりでLTEデータ通信すら滅多にしないという条件では、月々八千円も請求されるキャリアーとの契約料金はあまりにも高額過ぎるんです。MVNO ってんですか、スマートフォン用に低料金で通信契約できるサービスがある事に気がついたのはそんな頃でした。インターネットプロバイダーとして有名な 'iij' の関連会社なんでしょうね、MVNOに 'iijmio' って会社があり、月額1600円で 'iPhone 6+' が使える事がわかり、契約先を 'au' から 'iijmio' に MNP転出しました。

'iijmio' から送られてきた封書には 'SIM' が入っていて、それを 'iPhone6+' に入れると音声通話ができるようになり、さらに指示書の通りに 'APN' を'iPhone6+' にインストールするとデータ通信もできるようになりました。ただ、いつもはデータ通信オフにして WiFi だけでインターネットに接続していたのでちょっとクセがある事に気づくのが送れました。「設定」->「モバイルデータ通信」をオンにすると自動的に 'LTE' 設定もオンになるのですが、'iPhone6+'画面左上のアンテナ表示が 'DOCOMO 3G' のままで変わらないんです。自動的に変わる人もいるのかもしれませんけれどね。最後に 'iPhone6+' の電源をオフにして再起動するとアンテナ表示が 'DOCOMO 3G' から 'DOCOMO LTE' に変わる事に気づきました。

さて残された 'au iPhone4S' をどうしようか? 'au' の 'SIM' ロックがかけられているので'au' 以外の 'SIM' は使えないんです。インターネットで調べてみたら 'iPhone4S' だけ 'SIM' ロック解除できるハードウェアが中国で造られてるんですね。'SIM' ロック解除できない偽物ハードウェアもありましたけれど 'GPP'下駄は iOS8.1 でも無事に 'SIM' ロック解除できました。'AX050 SIM' は 'KingMobile'下駄じゃ iOS 8.0 以後は 'SIM' ロック解除不可能だとの話なので 'GPP' 下駄を購入しなおしたのに、'iijmio' から送られてきた音声 'SIM' は何でもOKの 'DN050 SIM' でした。スマートフォン二台持ちでも料金は大手キャリアーよりまだまだ安い。

携帯電話大手キャリアーは安心して使えるけれど格安携帯電話会社はいつ使えなくなるか不安だと云う人は、自分の明日を誰かが保証してくれると思ってるんでしょうねぇ。あっ、そりゃきっと大手キャリアーがサクラ記事書かせてる人だわ。

2014年11月19日水曜日

囲い込み

日本における囲い込み(かこいこみ:enclosure)とは
携帯電話3社によるユーザーを自社に縛り付ける目的で行われた販売戦略の事。歴史的に繰り返し行われてきたが、現在までに2度のプロセスが確認される。まず、携帯電話以前の時代に国内電話で名を馳せた「日本とっても飛ばせる(NTT)社」。同じ頃海外電話で名を馳せた「海外どうどういけてる(KDDI)社」。そして新興の「そんなにボルの(SB)社」である。

第一次囲い込みは3社の値引き主導で行われたのに対し、第二次囲い込みはユーザー2年縛りで行われた。

●第一次囲い込み
携帯電話はまず国有会社を前身とするNTTがほとんど独占的な地位でサービスを開始した。そこに待ったをかけたのがKDDIで2社は値引き戦略でユーザーを取り込もうとしたが、悲しいかな、お互いボンボン育ちで決定打に欠けた戦略した持ち合わせなかった。そこへ殴り込みをかけたのが、あざとい商売で成り上がった新興のSB社。三つどもえで値引き戦略は携帯機種代金が0円までに至り戦略は行き詰まりを見せたかにみえた。
各社ともインターネット接続を謳ってはいたがそれは嘘だった。単にメール機能が使えるという事と自社の有料サイトへの誘導の2点でしかインターネットを使えなかったからだ。何故ウェブサイトを閲覧できる機能を持った携帯電話が開発されなかったのか不思議なのだが、そこまで突っ込むのはやぶさかというものだろう。
日本でウェブサイトを閲覧できる機能を持った携帯電話が開発されないまま足踏みしていた頃、米国ではオレンジ社が「いっぱつ電話(iPhone)」を開発していた。それはかつてオレンジ社が「ニート」という通信機能を持った小型コンピュータで苦い失敗をした経験から、携帯電話の中にコンピュータを組み込みインターネット接続できる製品に仕上がっていた。そしてその販売戦略として携帯機種代金2年払い+契約2年縛り+違約金という手法を導入した。

●第二次囲い込み
このオレンジ社が日本に「いっぱつ電話」を売り込んだ先がSB社。その際に「携帯機種代金2年払い」の方がどういうわけだか、携帯機種代金実質無料なる意味不明の言葉が開発された。「いっぱつ電話」人気にあやかりSB社は他の2社からユーザーを奪い続けた。KDDI社は慌てたように「いっぱつ電話」の導入を企った。KDDI社が導入した際に、どういうわけだか、契約2年縛りが契約永久縛り(地獄縛りとも云う)に変更され契約後2年経過しても契約解除が自動的に出来なくなった。そればかりか違約金も継続して発生する仕組みに変更された。囲い込みの手法はこれ以外にも固定電話やタブレット端末にまで及ぶようになった。これを昔の人はこう言い習わした「タダ程高いものはない」。

ユーザーが羊の群と同様に囲い込まれてしまうのか、それとも自由を求めて脱出を試みるのかは今後の話。

2014年11月18日火曜日

スマートフォンの不思議

それまでガラケー(cell phone)を使っていたけれど、ソフトバンクから日本で初めて発売された iPhone 3G (8G) を入手したのがスマートフォン(smart phone)の最初。機種代金がタダになるような話だったけれど、月々の通信料が約6000円に加えて、機種代金を3000+円徴収され約月額9000円。2年間合計で機種代金だけで7万円ほどかかった。当時は2年しばりといっても2年経過した後に契約期間のしばりは無く違約金など発生しなかった。

次に何となく AU iPhone 4S (32G) を入手した。この時は機種代金を一括で支払ってその金額8万円+也。最初の2年間は値引きとかで通信料が月々6000円ほどだったけれど、2年後の契約解除を忘れてしまい、気がついてみれば2年と2ヶ月。さらに値引きが無くなり月々の通信料が8000円に迫る金額になりました。電話は月に2回ほど各1分間でインターネット通信は月に100MB以下の使い方ではいくら何でも無駄使いですよね。さらにスマートフォンと同時なら iPad Air (AU) の契約が割引になるからと、その契約もしちゃったんですよ。これは恐ろしい落とし穴になっているんです。

それに気がついたのは AU iPhone 4S の契約を解除した時の事。
「契約後3年経過してるから違約金は無しですよね?」
「いーえ、違約金1万円いただきます。」
絶句。この時に初めて違約金2年縛り地獄に気がついた。
「iPhone の契約解除したら iPad Air の割引は無くなるんですよね。」
「そりゃそうですよ。」
「それ月々どれくらいの値段になるんですかね?」
「さて、調べてみないとわからないけど、月に8000円ほどかな?」
「えっ?それなら iPad も契約解除します。」
「それでは iPad の違約金も1万円いただきます。」
「えー?携帯電話じゃないのに?」

つまり、iPhone と iPad の契約開始が2年という同期がとれていない限り、必ずどちらかの違約金が発生する仕掛けになっているんです。昔、東京でボッタクリバーに入ってしまい有り金残らず巻き上げられた事がありましたけれど、それに匹敵する出来事でしたよ。

もうキャリアーがやってるスマートフォンはこりごりです。SIM-Free iPhone 6+ 機種代99000円。これで格安?携帯電話会社のSIMを利用するようになってやっと落ち着きました。

2014年9月22日月曜日

4TB hard drive and GA-Z68X-U3DH-B3 firmware update from BIOS to UEFI

ある日 solid state drive (SSD) を購入するつもりでショップへ入ったら 4TB の hard drive が SSD と同じような価格で陳列されていました。よせばいいのに、ついフラっと 4TB hard drive を購入したのです。これが運のツキでした。Windows7 の稼動しているマシンに接続してみると、いつもと勝手が違っています。いつもなら初期化なんてしなくても認識してくれたハズなのに、何故か 1.8TB でパーティションしろとメッセージが、、、。なんとなくパーティションして NTFS でフォーマットかけてしまいました。どうやっても 4TB を認識してくれません。

これは何か変だとやっと気がつきました。ネットで調査したら BIOS 起動の Windows の HDD(NTFS) では 2TB までしか認識できないのね。Mac OSX では大昔に HDD 容量制限は事実上なくなっていたので完璧に不意をつかれました。では、BIOS 起動の OSX86 ではどうなのか?当然ですが、2TB までしか認識しませんでした。何しろ使っているマザーボード (GA-Z68X-U3DH-B3)が古かったようです。ウィンドウズの世界って変化が激しすぎてついていけません。問題解決には BIOS を UEFI という物にアップデートしないといけません。そのためには USBメモリーに Bootable DOS システムを作成する必要があるとか。しかも 2GB 以下の容量のUSBメモリーでないといけないらしい。これが無いのです。どこの店を探しても4GB以上のUSBメモリーしか置いていない。変化が激しくて、、、

2GB microSD card を見つけることができたので、それを使って Bootable DOS システムを作成しました。Gigabyte から U1L(UEFI BIOS) というファイルをダウンロードして解凍すると update_uefi というフォルダの中に autoexec, FLASHEFI, Z68XUD3H.U1l という3個のファイルがあるので、それを Bootable DOS システムを作成した UBSメモリーの中にコピーします。

そして作成した USBメモリーをブートドライブに指定して起動させると BIOS から UEFI への書き換えをやってくれます。この辺りはここが参考になりました。

簡単に書いてますけど、やってる最中には胸ドキドキですね。で肝心の hard drive は 1.8TB partion のまま、MacOSX の DiskUtility で NTFS から GPT format に変更していました。これを UEFI 起動した Windows7 でいじって何とか 4TB RAW Volume に復帰できました。RAW という表示は初めて見ましたけれど、要するに Windows じゃ認識できないという意味らしいです。

さて、次に OSX86 10.7.5 Lion を起動させてみると BIOS boot では問題なかったんですけれど UEFI boot では kernel panic をきたして起動不能になっていました。BIOS から UEFI への書き換えに失敗したに違いないと思いましたが、考えてみれば Windows7 は順調に起動、いや BIOS の頃と比べると起動時間が随分と短縮しています。それに MultiBeast boot までは問題なく動作しています。そこから MacOSX に起動プロセスが移ってすぐに kernel panic となっているので、問題は OSX86 10.7.5 drive 上のファイルにある事になります。OSX に問題はないでしょうから 86 部分、つまり /Extra/ 以下に問題がある事になり、/Extra/DSDT.aml を削除すると kernel panic が発生しなくなりました。

これでやっと 4TB hard drive を使う準備が整いました。